パワースポットと呼ばれる生き方。

また物凄い出会いがあった。

長崎県壱岐島に行って来た。

長崎県の壱岐は、九州北部の佐賀県東松浦半島の北西、約20kmに浮かぶ島。

日本でも有数の美しいビーチとして知られているが
小さな島であるにも関わらず壱岐には神社庁登録の神社が150社も集まり、神道発祥の地という説もある。

別名【神々が宿る島】

その壱岐で平山旅館の女将と出逢った。
(この女将はあの 熱漢 松岡修三が「壱岐一番のパワースポット」と命名した人)

この女将となぜか話が盛り上がり、明け方の4時近くまで語り合った。
私はそこから5時半に起床して漁港のセリを見学。
女将はその日に東京へと出発。

70歳の女将の「未来へのビジョン」「現在の行動の意味」の一つ一つ深さがあった。

「今が楽しければいい。」

「楽しく過ごして来たからな~んも考えたくない。」

よく聞くし、よく言う若者もお年寄りもいる。

でも、私はその言葉にグッと来ない。

「今が楽しければいい」=何一つ不自由ない。現状維持でいい。先はその時考える。

「楽しく過ごして来たからな~んも考えたくない。」=これから何の望みもない。与える事もない。

性格がひん曲がった私はそう感じてしまう。

「今が楽しければいい」
そう言う若者と仲良くなれた試しがない。

「楽しく過ごして来たから気楽がいい。」
そう言うお年寄りの話をもう一度聞こうと思った事がない。

今回お会いした平山女将はこう言った。

「まだまだしたい事が沢山あり過ぎる。」

「人が出来る事を自分がしている時間が勿体ない。」

なんて貪欲、なんて正直、なんてストレート!

若さのギラギラとは違うキラキラしていた。

まだまだ考えたい。
まだまだ味わいたい。
まだまだ与えたい。
まだまだ役に立ちたい。

このエネルギーは人を魅力的にする。

こんな人生を歩みたいと改めて思った。

パワフルな生き方は時に周りから見て、疲れる様に思われる。

「そんないつも元気で疲れない?」
「そんな細かいこと気にしないで、今が楽しけれないいでしょう!気楽に行こうよ!」

この言葉は全く持ってピントがズレている。

元気でいたいから元気でいるし、気にしたいから気にしている。

ただ、

人に元気に見られたい元気は続かない。
誰かに元気に見られたいと思った事などなく、自然とワクワクすると元気が出ちゃう。

人に気にして欲しいデリケートさはアホらしい。
誰かの気を引く悩みで悩んでいる暇はなく、自分中心で悩みたい。

だからこそ、
語り合える相手とだけ過ごすし、一人で悩む。

神々が宿る島に面白い生けるパワースポットがあった。

誰かのパワースポットになる生き方をして生きたい。

「精一杯わがままに生きる為に今日も努力」

「個性を大切に・・」こんな言葉に個性はない。

よく【個性の時代】みたいなフレーズを見る。

電車のつり革でも、雑誌のキャッチでも、メディアの訴求でも目にする。

物凄く違和感がある。

そこで示している【個性】って何だ?

人よりも勝っている事が個性?
人に交じり合わない事が個性?

「個性を活かせ」「個性が活きない」

ただ単に「聞き心地が良いこの言葉」に騙されていないだろうか?

「人の事は興味はない。でも、自分の事は知って欲しい。」
「人と過ごす時間は無駄。でも、自分の事は知って欲しい。」

私も万人受けするタイプでは明らかにない。

しかも、本当に人と会わない。会いたい人としか会わない。

でも、会った人には本気で話すし、本気で相手に興味がある。
それを繰り返して来た自負がある。

だからこそ、少ない人数でも家族の様な兄弟の様な関係性で仕事をする相手がいる。

誰かと本気で語る気がない人達は何を軸に個性を主張しているの?
この人を全力で知りたい!この人に知ってもらいたい!と誰にも思えない人にそもそも個性が必要なの?

つまり、【個性】には『出す相手』と『出すべきステージ』がある。

それを【個性個性の安売りで誰彼構わず、どんな場面でも自分だけ主張しては相手も困る。】

相手に自分の個性を受け止めてもらえる様に自らが率先して心を掴む働きかけをしているだろうか?
相手に自分の個性を受け止めてもらいたい様に自らも相手の個性を引き出し、受け止めているだろうか?

とにかく大切なのは【役に立つ事】

これに尽きると思う。

私自身も役に立っていない関係性をいっぱい過去には重ねて来た。
でも、その関係性はいつまでも続かなかった。

【役に立つ】=お金になる。支持になる。
【役に立つ】=感謝になる。次につながる。
【役に立つ】=自信になる。意欲になる。

正直、全員の役に立つのはなかなか難しい。

だからこそ、全員に自分の個性を尊重して欲しい。
そんな考えは捨てた方がいい。

【役に立つ】=そのステージに行けば【個性】の味が出て、その味を好きになってくれる人もいる。

世の中の「それっぽい言葉」「それっぽい雰囲気」に流されるのはやめよう。

今日も誰かは【個性】なんて物を意識もしてないのに
「めちゃくちゃ個性的だよね。」「あいつはあの個性が魅力的だよね。」と言われている。

むちゃくちゃにやれ!
むちゃくちゃ役に立て!

セッションはメロディーを生む

多くの刺激的なワクワクする出逢いがある。

最近では

西田 二郎氏【ダウンタウンDX、松本伸介などの数多くの番組プロデューサー】
脇 雅昭 氏 【47都道府県の公務員と中央省で働く官僚を繋ぐ47会の発起人】

この2人を引き合わせた時間は特に面白かった。

次々に人生観と経験から来る言葉が重なり合って心地良いワクワクを生み出す。

引き合わせたきっかけは単純に「この2人を会せたら面白い事出来そう。」

そうピンッと来たからだ。

ピンッと来たものの、
ちなみに私も脇さんにはお会いした事がなかった。

しかし、そんな事関係なく思い立った瞬間に脇さんと繋がりがある知り合いに

「脇さんと話してみたいから繋げてくれない?」

そうメールしていた。
紹介してくれた井波さん【都立小山台高校教師】のスピード感もあっぱれだった。

つまり、動けば何かは動く。
つまり、イケてる人は話が早い。
つまり、面白い人は面白い人を心地よく刺激する。

これに尽きる。

だからこそ、ピンッと来るか来ないかで人生は変わる。

今まで会った事無く、話した事もない大人同士が相手に対してワクワクする。

それこそ【セッション】だと思う。

心のセッションを誰とするか。

【感覚】【感性】を養えば未来はすぐにでも変わる。
未来は自分の【感覚】【感性】が左右する。

【感覚】【感性】のセッションは“新しいメロディー”(新しいビジョン)を生む。

そのメロディーは相手と自分の可能性を心地良くする。

私は数多くの【セッションの場】に対峙する度にそう思う。

ジャズみたいに生きよう。

海外進出を楽しめる企業!

海外進出を楽しめる企業を増やしたい。

それはGIFTがテーマにしている事の一つでもある。

日本語が卓越し過ぎている(語り合うの大好き)の私にとって、
「心意を多様なボキャブラリーで語り合う」そのスキルが足りない英語もイタリア語も得意ではない。

でも、海外の仕事をしている。
多くの外国の方から相談が来て多くの外国の方と会う。

もちろん語学は出来た方がいい。

ただ、確信している事がある。
ある一定レベル以上の話をしに来た方は語学を越えた「人間味」を必ず見ている。

高いレベルで有れば有る程、その点を大切にしている。

「相手の振る舞い」「話を聞く姿勢」「言語が違えど話し方、目線」

そこから相手の「人間性」を見てる。

それは日本人同士でも同じだ。

どんな能力があり、実績・権力があっても

「連絡を返さない。」
「人の話をきちんと聞かない。覚えていない。」
「相手を尊重していない。」

これは表面上だけ相手を騙せても、深い信頼関係は生まれない。
ある一定上になると対峙する相手も馬鹿ではない。
相手を見下すと馬鹿を見るのは自分だ。

私は外国の方と語り合うのは好きだ。

それは【ストーリーを語っている人はイキイキしている】からだ。

自分がして来た事を堂々と語る人はどの国の国籍であれ凛としている。

海外に出る事を躊躇する企業は沢山ある。
海外を信頼せず、なぜか下に見ている経営者も沢山いる。

相手が調子の良さに流されて騙された人もいるだろう。
相手の心理が掴めず破談になった話もあるだろう。

でも、そこに上も下もない。

どんな「人間か。」

ただそれを見極める力があるかないかと言える。

有難い事にはGIFTには長く外国に住むメンバー達がいる。
彼らは自分の生まれ故郷ではない場所で【自分自身】を証明し、信頼されている。

その彼らの姿勢に騙す人も中途半端な人も寄ってこない。

だから、私達は海外進出を楽しめる企業を増やしたい。

日本人の持つ「尊重した姿勢」「イキイキしたバイタリティ」

この2つで世界と自分の世界を面白くしたい。

【すべては人に始まり、人に終わる。】

古臭くても私達はそんな会社でありたい。

深くして行く。深く知る。

現在の人は「モノ」にも「職」にも困っていない。

その為、次々に乗り換える事が出来るし、飽きたら替えが利く。

「飽きたから変える。」

「合わないからやめる。」

もちろん

飽きたモノをいつまでも持ち続ける必要もない。

次々に新作は出るし、次々に流行は移り変わる。

ただ、そうなるとすぐに

「あの芸能人が・・・あの雑誌が・・・今の流行は・・・。」

合わない職をいつまでも続ける必要はない。

感性が合わない人もいれば、厳しく言われる事もある。

ただ、そうなるとすぐに

「自分の個性が発揮出来ない・・・合わない・・・やめる・・・」

余りに簡単にこの表面だけの判断軸が導き出される図式が私は理解が出来ない。

表面だけの判断で行動する度に【自分自身】は深まっているのだろうか?

【モノ】であれば
「なぜ自分はこれが好きなのか?」
「どんな部分に共感して購入したのか?」
「自分自身はどんな想いで選んだのか?」

【職】であれば
「自分は何を得てどう成長したいのか?」
「今の状況を自分はどうクリアーして、どうステージを上げていくのか?」
「自分自身はどんな想いで選んだのか?」

そこに立ち戻り、もう一度考えてみる。

クリアーする方法はないか。打開策はないか。

楽しめる方法はないか。楽しませるアプローチはないか。

そう考える事が出来るか出来ないかで判断の【深さ】が変わる。

【自分の事は認めて欲しいけど相手とは時間を共有したくない。】
【自分は相手を知る努力をしないけど、相手には察して欲しい。】

この論理は残念ながらいつまで経っても解決を生まない。

だからこそ、自分自身が進化する為に「深み」を求めるしかない。

つまり、人がどうこうではない。

自分が大切に想う。
自分がワクワクする。

この気持ちが浮かび上がる方法を考えるしかない。

その気持ちが浮かび上がる次の選択肢は希望に満ちている。

でも、「なんとなく」「なんか合わないから次」

こんな気持ちは何を手に入れても満たされないし、何を得ても人が気になる。

好きな事柄、好きな人、好きな自分を深くして行く。深く知る。

楽しさの根源は「探究心」だと私は思う。

好きの理由を探究しない自分に「嗜好」は来ない。

相手を探究しない自分に「感性の合致」は来ない。

自分を探究しない自分に「生き甲斐」は来ない。

ピンッと来る人は次々に来る

昔から興味がある事については

「なぜこうなっているのか?」
「どういう原理なのか?」

常に疑問を持ち、考えて、仕組みを理解する度に自己満足な喜びがあった。

その一方で興味がない事に関しては全くの無頓着で全く興味すら持たない。

この激しい「振り幅」が私を形成している。

その為、
人から「こんな事がしたい。」「こんな事に興味がある。」と言われると
自然といつの間にかその情報が集まり、自分なりにイケてると思うアプローチを思い付いている。

だからこそ、GIFTのメンバーにも

「誰かの〇〇したい。」
「〇〇を応援している。」

これを自分なりでいいから出来る限り集める様にと伝えている。

するとある時、急にピンッと

「〇〇と会わせたいな。」
「〇〇とコラボ出来るかも。」

とアイディアが思いつく。

これを私は【降りてくる(直感)】と呼ぶ。

好きな事ばかりしていてもいい。
でも、人の好きな事を聞き、1度角度がズレるだけで意外といいアプローチがあったりする。

【降りてくる】は教える事は出来ない。体験するしかない。

どんな事に興味を持ち、誰を思い浮かべ、どこと何を結びつけるか。

人生は着眼点合戦だから面白い。

同じ画を見る。

イメージ出来る力が決断力、行動力を左右する。

同じ場面にいて、同じ人に会って、同じ話を聞いても

ピンッと来る人と来ない人がいる。

これを「感性」「感覚」「感受性」など感じる力で表現する事が多いが
私は【イメージ力】思う。

画が描けない。
画が見えない。

この時点で「感じる」は刺激されない。

相手の会話から画を掴む力。

相手に絵を掴ませる会話。

これが出来る人達はどんどん進む。
一見くだらない会話に他からは見えてもどんどん進む。

これが出来ない人はどんどん迷う。
くだらない会話から画が導き出せずにどんどん離れる。

この違いが決断力、行動力に直結する。

同じ画を見れる人といられるって幸せだ。

同じ画を見て「イメージ」を語り合う。

そして、「イメージ」が膨らみ、次の画へと自動的に一緒に移る。

これが一番幸せ。

仕事の話で子供になる大人

仕事のアイディアを共有する時間が好きだ。

基本、仕事の話しかしない。
つまらない奴。

そう思われるかもしれない。

でも、

仕事の話=自分が描くビジョンの話、生きたい生き方の話に直結する。

その中でどれを選択するか。何を感じているか。

これ程、その人の個性が出て、人間味を感じる事柄はない。

仕事は【社会構造での遊びだ】

思いっ切り遊ぶ為に思いっ切り考えるし、思いっ切り感じる。

思いっ切り主張するし、思いっ切り尊重する。

明日、誰と遊ぶか

明日、何して遊ぶか

そんなエネルギーを仕事はくれる。

仕事を前にすると子供になる本気の大人が私は好きだ。

仕事とヒトが集まる人

凄い体験と最高の再会をした1日だった。

人生において

「誰と時間を共有するか」

これが物凄く成長、自己実現の大きな要素を締めると思う。

その時間を手に入れる為には大きく分けると2つの事が重要になる。

【技能】と【人間力】

【技能】は言わば各分野におけるスキルだ。

技能があれば必要とされることも増える。
技能があれば意見を求められて、入り込む場面も多くなる。
技能があればまたやって欲しくなる。

【人間力】言わば個性・キャラクターだ。

人間力があれば本音で話したくなる。
人間力があれば大切な人を紹介したくなる。
人間力がああればまた会いたくなる。

私の持論は

仕事が多い人に仕事は集まる。
しかも、仕事が多い人は仕事は早い。

そして、また集まる。

つまり、【技能】【人間力】によって

「誰と時間を共有するか」が変わる。

自分に問い続けるしかない。

「技能を磨いているか?」
「人間力を高められているか?」

「会う」「合う」は頂き物

昨日素晴らしい方とお会いした。

当たり前のように聞こえるかもしれないが、
普段の生活では絶対に会えない様な方と「誰か」を通じたら会える。

そんな嬉しすぎるサプライズが日常にはたくさん起きる可能性がある。

「誰か」を通して会えた「誰か」の2人は

一切気を使わず歳が離れていような敬語すら使わない、気心の知れた仲の場合もある。

互いの能力を誰よりも認め合い、深く尊敬していて大きな決断の助言は互いに求め合う場合もある。

互いの感性に全幅の信頼を置く、友達を越えた家族、兄弟のような場合もある。

「こいつが面白いっていう相手は間違いないから。」

「この人がそこまで会わせたがる人が一体どんなか会ってみたくて。」

そんな【出逢い】を頂ける事がある。

「人にはじまり、人に終わる」

本当にそうだな、としみじみ思う。

会いたかった人に会える。

会えて心が喜ぶ人に会える。

自分の枠を越えた人に会える。

自分が過ごす日常では会えない人に会える。

そして、語り合い、分かり合える。

これって凄い事だと思う。
あり得ない奇跡体験だと思う。

自分で切り拓いたつもりでも、「誰か」で繋がっている。

「あいつ面白いよ。」

「絶対に気が合うよ。」

今日も誰かが誰かにそう言ってくれていて、

「ほらね!」

そうなる人生を私は生きたい。

会う人生を生きたいし、合う人生を生きたい。