2018年 平成最後を振り返って

もうすぐ2018年が終わり新しい1年が来る。
そして平成も終わる。

始まりと終わり。

これはきちんとしたい。
人間には不思議とその気持ちがある。

それはとてもいい事でだと思う。

私はずーっと昔から年越しはゆっくりする事を選んでいる。
何処かに出掛けたりも誰と会ったりもしない。

誰といたいか?どこにいたいか?

そう考えた挙句、毎年不思議と1人きりで過ごして来た。
母親の遺影の前に1人きり正座して何度も年越しして来た。

特に何もせず、何も気かけず「どんな1年だった?」と静かに自分に問いかけて来た。

そんな私の問いにいつも私はこう応えて来た。

『今年の自分が過去最高だったと思う。』

毎年毎年そう応えてくれた。

そして、今日。

『今年の自分が過去最高だったと思う。』

また私が私にそう応えてくれた。

不思議な縁が沢山あった。
会えなかった人にも沢山会えた。
やりたかった仕事も沢山出来た。
まだまだやりたい事も沢山出来た。

その人達に会わなかったらどんな1年だったろうか?
その出来事がなかったらどんな1年だったろうか?

そう思う程に濃く、深い縁にも巡り合えた。

また新しい1年が始まる。

どんな1年になるだろうか。

誰と出逢い、誰と語り合うだろうか。
何を気づき、何を大切に思うだろうか。

『今年の自分が過去最高だったと思う。』

毎年最高な自分に会えるのが嬉しい。

そんな時間を与えて下さった全ての方全ての出来事に心から感謝します。

すべての人・企業のGIFT(才能)をGIFT(贈り物)に

株式会社GIFT Corporation
代表取締役 池田有志

贅沢から【贅択】へ

最近本当に良き縁を頂く。

何かをきっかけに誰かをきっかけに
出逢えなかった人達と出逢い、出来なかった話が出来るようになる。

これ程の【贅沢】はないと思う。

常々考えている事だか【贅沢】は私は【贅択】と捉えている。

え?どこが違うの?
サラッと見るだけでは分からない。

よ~く見ると字が違う。

贅沢は贅を沢山ではなく、贅を選択する【贅択】

つまり、自らが選択する事が出来る。
これが何よりの贅択だと思う。

ちなみに「贅」の文字の意味は

むだ。よけいな。
いぼ。こぶ。

つまり、実は無駄や余計な事を沢山出来るから【贅沢】となる。

だからこそ、私は無駄や余計な事を選択出来たら【贅択】だと思う。

「選択する事」

これこそが贅択の入口だと思う。

自らが選択出来る状況。自らを選択肢に入れてもらう状況。
この両方が満たされた時、実は【贅択】は広がる。

沢山を求めなくていい。

選択を求めよう。誰かの選択肢に入ろう。

【贅沢】から【贅択】へ

私は「無駄」「余計な事」を自ら選んで楽しむ。
私は自らを選んで貰い「無駄」「余計な事」を面白くする。

情報武装から行動証明へ

かなり多くの方から日々ご連絡を頂く。

大きく分けるとその内容のほとんどが

【長い視点で見た場合の企業のブランディングについて】
【海外展開における企業の新しい価値創造について】

これに当てはまる。

つまり、現在の世の中はその部分の選択が多くの企業の分かれ道になる。

GIFT Corporationが相談を頂く企業の大半が3億~20億の企業が多い。
つまり、このミドルレンジの企業は「ブランド価値」についての転換期にある。

「朝の情報番組に出ました。」
「雑誌に取り上げられました。」

正直、現在のご時世でこれに大きなブランド価値はない。

みんなその手の訴求は飽きているし、一過性で風化も速い。

そんな中で重要なブランド価値の指標は
「誰に選ばれている」という明確なファンの具現化にある。

悲しもがな【メディアに取り上げられた】=【ファンがいる】ではない。

強い固定ファンがいたらメディアに出る必要もない。
これが現実だったりする。

つまり、誰を喜ばせ、誰に強烈に支持されているか。

これは企業も人も同じ。

「あなたが言うなら」
「あなたとなら」
「あなたがいる場所なら」

これで全ては決まる。

勿論、ここを作るのは簡単ではない。
でも、風化する当たりを探すより、残る姿勢を貫いた方がいい。

その企業・ヒトが選択する行動や姿勢は全てを証明してくれる。

情報武装から行動証明へ

面倒くさいを足す。

不思議と年末になればなる程 時間が出来る。

そうなると面白い方とゆっくり話せる時間も増える。
私は4人以上の飲み会には基本的に出ない。

盛り上がるのは確かに楽しいが話しが割れてしまっては意味がないし、折角の機会ならきちんとゆっくり深く話したい。

その中で服部料理学校の服部先生とお話をさせて頂く機会があった。

料理人育成、料理学校の経営

話していて聞きたい話しが沢山あった。

私はその中で聞きたかった質問をした。

「沢山の料理学校の卒業生達で10年料理人を続ける人は大体何人くらいですか?」

服部先生
「きっとひと学年が100人だとしたら1人いるかいないかだと思う。」

「意外と少ないですね。では、その1人は他の人と何が違うと服部先生は思いますか?」

少人数だと質問も深く出来る。

服部先生
「私は父から料理学校を引き継ぐ時に【料理は楽しいか?】と聞かれた事がある。もちろん楽しい。と答えた。そしたら、【料理をする時に全ての下準備、工程に面倒くさい。と言いながら料理してみろ。】と言われた。」

カレーひとつ作るのにも
洗うの面倒くさい。
皮剥くの面倒くさい。
切るの面倒くさい。
炒めるの面倒くさい。

とにかく、面倒くさいが多かった。

「つまり、料理はめちゃくちゃ面倒くさいものだ。でも、【そこにひとつ余分に面倒くさいを足せる奴だけが残る。】」

私はこの言葉が心に残った。

【面倒くさい事に面倒くさいを足す】

これが出来る人が「こだわり」「オリジナリティ」を生み出す。

どこにどんなタイミングで何を加えるか。

それはその人自身が決める事。

私は私の日常にどんな「面倒くさい」を足しているだろうか?

あえて細かく伝えて有言実行する。
小さな事にも熱量を持って行う。
常に向き合う相手にめいっぱいの誠実さを持つ。

私は私の人生に必要な「面倒くさい」
(こだわり、らしさ、オリジナリティ)を足し続ける。

面倒くさい生き方をしている私が私自身にさらに面倒くさいを足して行く。

それに磨きをかけ、磨き合える方と出会う。

さらに面倒くさい自分になるのが不思議と楽しみだ。
みんなには先に「ごめん」