自分自身にどんな「惹き」があるか

本当に多くのご縁に恵まれている。

そのご縁がご縁を呼び広がっていく。
前にも書いたかもしれないが私は多くの人に会うタイプではない。

昔の私を知っている人ほど「そうか?」と思うかもしれないが、
年々、年々・・人と会わなくなって来ている。
明らかに1人の時間も増えた。

4人以上の飲み会・食事会には基本的に行かない。
信頼している方からの紹介でない限り会わない。
きちんとした紹介のされ方でない限り長時間話さない。

え・・・めちゃくちゃ性格悪い・・
そう思われるかもしれない。

でも、そうでないと何を話していいのかも分からないし、何も生まれない。

だからそうなればなるほど「人と会う」と言う機会が減って来ている。
にもかかわらず、

なぜか面白い仕事が次々に舞い込んで来て、
面白い人と次々に出会う。

なぜだろうか。自分でもフッとした瞬間に疑問に思っていた。

それには理由があった。

私を理解してくれた人がフィルターになり出逢わせてくれる人はめちゃくちゃ面白い。
こんな感じの私に興味を抱いてくれる方とはめちゃくちゃ強い絆が生まれる。
私が【出来る事】が明確で誰とどう組めばいいのかめちゃくちゃ分かり易い。
(※出来る事が少ないが為)

この様に私は周りの方々によって「活かされている」

生きているのは勿論だが、「活きている」

イキイキする為には人の役に立つしかない。
イキイキする為には誰かと強く必要とし合うしかない。
イキイキする為には本気で向き合い、本気で能力を示すしかない。

活かしてもらっている私は誰をどんなタイミングで活かしてあげられているだろうか?

人に会わなくても「惹き」はある。

耳あたりの良い言葉に惑うな。

最近ブログを通じて出会う人が不思議と多い。

「誰々さんがブログについて書いてました。」
「誰々さんから進められて読み始めました。」

とても有難い事だとつくづく思う。

その中でもたまに聞かれることがある。

「誰か目標、憧れの人はいますか?」

正直、全くいない。
こういうと物凄く高飛車な言い方かもしれないが、人に憧れた事がない。

新卒で入社した会社も本当に多くの優秀な人達がいた。でも、「憧れ」は持った事がなかった。

それよりも自分がその人から何を吸収して、どの部分に影響を受けずにオリジナリティを残すか。
そんな事ばかり考えていたように思う。

でも、オリジナリティを出す。
これは物凄く長い長い戦いだと思う。

今でこそメディアや誰でも彼でも言う「個性」
この「個性」という言葉を私は全く信用していない。

「個性」は自分が磨いてきたものが
誰かの目に留まった時、誰かの役に立った時、初めて意味を持つ。

「本当に昔から〇〇な部分はずっーと変わらないよな。」
「お前の〇〇な部分に実はすごく助けられているよ。」

こう言われて初めて【個性ポイント1】

それが人伝えで伝わり、伝わり・・・個性ポイントが増えて行く。

そうなると
「この仕事を任せたい。」「あいつの意見が聞きたい。」とそれを必要とする人・案件が集まってくる。

つまり、ポイントを持たない人が
「自分の個性が・・・」
「自分の個性が生かされない・・・」

そんな発言をしても周りに何も生む事は出来ないし、
言えば言うほど虚しくなる。

個性はみんなが各自持っている。
でも、その個性を必要とするか。されるか。が何より重要であり、
何よりの存在意義の証になる。

「よく聞く耳当たりの良い言葉」

これに惑わされてはいけない。

「憧れ」「目標」「個性」「自分らしさ」

こんな言葉にいつまでもしがみ付いては自分になれない。

必要とされる事。必要とされる自負がある事。

常にそこが自分自身のスタートになる。
積み上げて来たモノときちんと向き合って、
さらに「積み上げたいモノ」を掴みに行く。

「自分自身の個性」は必要としてくれた人の中にある。