「会う」「合う」は頂き物

昨日素晴らしい方とお会いした。

当たり前のように聞こえるかもしれないが、
普段の生活では絶対に会えない様な方と「誰か」を通じたら会える。

そんな嬉しすぎるサプライズが日常にはたくさん起きる可能性がある。

「誰か」を通して会えた「誰か」の2人は

一切気を使わず歳が離れていような敬語すら使わない、気心の知れた仲の場合もある。

互いの能力を誰よりも認め合い、深く尊敬していて大きな決断の助言は互いに求め合う場合もある。

互いの感性に全幅の信頼を置く、友達を越えた家族、兄弟のような場合もある。

「こいつが面白いっていう相手は間違いないから。」

「この人がそこまで会わせたがる人が一体どんなか会ってみたくて。」

そんな【出逢い】を頂ける事がある。

「人にはじまり、人に終わる」

本当にそうだな、としみじみ思う。

会いたかった人に会える。

会えて心が喜ぶ人に会える。

自分の枠を越えた人に会える。

自分が過ごす日常では会えない人に会える。

そして、語り合い、分かり合える。

これって凄い事だと思う。
あり得ない奇跡体験だと思う。

自分で切り拓いたつもりでも、「誰か」で繋がっている。

「あいつ面白いよ。」

「絶対に気が合うよ。」

今日も誰かが誰かにそう言ってくれていて、

「ほらね!」

そうなる人生を私は生きたい。

会う人生を生きたいし、合う人生を生きたい。

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