平成の現在の自分を此処に。

平成最後の日

このフレーズがなんか堪らないですよね

昭和生まれですがほぼ平成と共に生きて来て、
平成元年の映像とか見ると「古ッ!!」って思うのが不思議な感覚です。

なんか今日、大晦日みたいな気分ありますもんね。

なんか「始まり」「終わり」
「節目」ってりんとしますよね。

令和とは何年の付き合いになるか分かりませんがどう世の中が変わって、自分がどうなってるのかを考えるとワクワクします。

私自身、難しい事考えずに

「誰の役に立つか」
「まだ見ぬ自分にどう近づくか」
「誰を勇気付けるか」
「誰の居場所を作るか」

ここに集中して令和を生きて行きたいと思います。

原点はいつも此処。

現在の自分を此処に。
(これは私が2005年6月2日から書き始めたブログのタイトルです。)
正直あれから14年経ちますが何も変わっていません。

私は私のまま。

現在の自分を此処に。
http://blog.livedoor.jp/welfare_for_all/archives/23898279.html

「嫌い。」と「好きではない。」

GWにブログの連投

昨日のブログもかなり反響を頂き、
あれよあれよと地銀講和、新人講和、幹部講和のご依頼を受けました。

研修というよりは講和

講和というよりはセッション

こんな考え方あるよ〜。
で、どう思って、どう行動する?
それを決めて、まず気持ちをリニューアルしよう。
みたいなのが私のスタイルです。

正直、どんな話しを聞こうが行動しなきゃ自分のいつものまま。

だからこそ、「楽しむ気がない人」「話しを聞くだけの人」と話す時間は好きではない。

私はこういう風に「好きではない。」とハッキリ言う。

ただ世の中、不思議な事に
「嫌いは良くないよ。勿体ない。」
「それって嫉妬?嫉妬は成長しないよ。」
みたいな風潮がある気がする。
現にそう人にアドバイスをくれる人も多い。

もちろん、いちいち嫌いを人に言いまわる程、無駄な事はない。
むしろ、大抵の場合一個人の「嫌い」をわざわざ聞きたくもない。

そもそも嫌いな人の話しをいちいちされても困る。

その時間が何よりも勿体ないし、
せっかく一緒にいるなら好きな人と未来のある話がしたい。

私の中では「嫌い」と「好きではない」は明らかに違う。

なんかグッと来ない。
なんかしっくり来ない。

嫉妬など微塵もなくただ違和感がある。
どんな人気があるとしても何か伝わって来ない。
そんな違和感は誰にでもあるはず。

実はこの違和感にヒントがある。

「好きではない。」と感じる事柄にこそ「新しいツボ」を見出せたりする。

「好きではない。」
なら自分なら「どう行動する?」「どうしたら好きになる?」に繋がる。

「嫌い。」からは行動は生まれない。

「好きではない。」からは「なら好きにしてみたら?好きなのはどんなの?」を出すしかない。

つまり、
自分のスタイルを出せ。
自分の味を出せ。
何か新しいアイデアを感じろ。

そう自分が自分に言ってくる違和感が「好きではない。」となる。

だから、「嫌い。」と「好きではない。」は私の中では大きく違う。

「好きではない。」と言う感覚は時に私の中の感性を刺激し、「なら好きにやれる自分になれ!」と私を叱咤する。

「好きなようにやれる自分になる。」

そんな自分を実現する為に工夫し、試行錯誤し、語り、磨き、分かり合い、認め合うを繰り返す。

わがまま言う為に今日もひたすら努力。

楽したい人。楽しみたい人。

最大10連休。

たまにはいいですよね。

みんながお休みのGWだからこそブログ連投しようかと思います。

書く事自体は好きなので着の身着のままに書きます。

最近、ふっと気がつくとほとんど稼働してない。
(仕事らしい仕事してない…)
そんな事実に気が付きました。

「誰かに会いに行かなきゃ」
「ここに参加しなきゃ」
「いついつまでにこれしなきゃ」

こういった類の事柄が本当にない。

「誰に会いたいかな。」
「誰と話そうかな。」
「何をいつまでにやろうかな。」

そういった自分の好きを模索して、自分のクリエイティビティが試される日常を気に入っています。

それも全て周りのメンバーやお仕事をご一緒させて頂いている方々のお陰だと強く思う。

だからこそ、そんな人達の良さを引き出す為に「何が出来るかな?」「こんな仕事どうかな?」と考えて、チャレンジしてみる事が純粋に面白い。

【楽しんで楽してる感覚がある】

正直、楽したら楽しくない。

楽してる自分(責任放棄、人任せ、工夫しない、試行錯誤しない)に自分自身は気付いているから。

そんな自分が好きではないし、そんな相手を好きになる事がない。

だから、楽したくないから楽しんでいたら自然と楽になる。

さらに楽しみたいから楽しむと、また楽になる。

でも、永遠に楽しみたいから永遠に「楽だからこれでいいや〜」は来ない。

この感覚って物凄く不思議な感覚。

「こんな事したら面白くない?」「これってワクワクしない?」「自分はこんな夢がある。」みたいな話は誰でもすると思う。

女性を口説きたい男性も。
男性を口説きたい女性も。
男性から男性も。
女性から女性も。
大人から子供も。
子供から大人も。

でも、いつもそこで考える。
自分に対しても話してる相手に対しても。

「楽したい」or「楽しみたい」

「どっちを軸にその話してる?」

だから、常に「楽しみたい人」の話しか面白くないし、ワクワクしないし、共感しない。

みんなが自分それぞれを楽しんでいる。
みんなが自分それぞれを楽しみたがっている。

「楽しんでたら楽が来る。」「楽が嫌だから楽しむ。」

私にはそれが向いている。
きっとGIFTのメンバーはそれが向いている。
きっと私の心友達はそれが向いている。

だから、楽しい!

だから、すべての私自身の根源は
すべての人・企業のGIFT(才能)をGIFT(贈り物)に

実は経営者として大切にしている事

ある食事の場で

「経営者として大切にしている事なんですか?」
と言う質問をもらった。

世の中には多くの経営者がいてそれぞれ大切にしている事があると思う。

その中で私が最も大切にしている事は【語り合う事】

これだと答えた。

だからこそ、【語り合えない相手】とは仕事はしない。

「好きな物が好き」
この生き方の本質を体現している人が実は意外と減っている。

つまり、自らの「好き」を説明出来ない人が多いと思う。
もちろん、「なんとなく好き」という感覚はよく分かる。

「なんとなく好き」=自分の感覚的に好き
「なんとなく好き」=流行っているから。支持者が多いから。

これには雲泥の差がある。

実は私はこれからはより「アート」の時代が来ると思う。
各人の「好き」を語り場が必要とされる。

つまり、私の「好き」は

「語り合える人だから好き」
「自分が語りたくなるから好き」

と単純だ。

「語りたいもの」に囲まれて生きたい。

語りたい相手とストーリーが詰まった食を囲んで、未来を語りたい。

それが何よりも自分自身のエネルギーになる。

だからこそ、感性を磨く。
自分の感覚に常に問いかける。

私はいつまでもいくつになっても好きな人と「語り合う」

【存在価値】が拡大しているか?

かなり面白い展開を多々迎える出来事が常に起きている。

あるプロジェクトは電鉄系企業の子会社と取り組んでいる。
また違うプロジェクトはイタリアの有名ホテルと。

様々な文化を持つ企業とのプロジェクトは刺激的で面白い。

その中で常に意識している事がある。
それは企業人だった頃から経営者になった今でも同じ。

「どこに自ら(自社)の強みを見出すか」

「どの部分で明確に違いを見せ、役に立つか」

「どんな視点・スタンスを貫くか」

これがブレると方向性もそもそもの存在価値もブレる。

その為、常に自分自身(自社)の存在価値を意識している。

与えられた場面でいかにその要素を凝縮させるか。
前に出過ぎるでもなく、遠慮するのでもなく、
瞬間瞬間で等身大の存在価値を伝える事が出来るかどうか。

これが結果として、
【出来る】【出来ない】【分かる人】【分かっていない人】となる。

たまたまお昼時にカフェで隣に座った人達が話し声が聞こえてきた。

「あの業務は効率が悪い」
「毎日18時に帰りたい。」
「あの人は仕事が出来ない。」

どーでもいい話だ。

私が新卒で入社した会社で「会社の悪口・人の悪口・愚痴を言うな。」と教わった。
周りにも同期にも全くそういう人はいなかった。
つくづく素敵な会社で新社会人として勉強出来たと思う。
その根本的な考え方は実はとても大きい。

何が大きいかと言うと「人といる時にするべき話と自らが取りたい姿勢」を明確に表現出来るように育った。
無駄な時間はすごしたくない。
無駄な時間を過ごさせて次会いたくない人になりたくない。

私は限りある時間で【私の存在価値】を伝えたい。

だから、4人以上の場には極力行かない。
ビビッと感じない人とは無理に距離を詰めない。

本当に社会不適合な経営者だと思う。

でも、私は【私の存在価値】を証明したい。
だから誠実に真っ直ぐに。
高い集中力と自由な着眼点と感性を忘れずに。

だから、仕事は最高に面白い。
まだまだまだ私自身とGIFT Corporationの【存在価値】は増大して行く。