贅沢から【贅択】へ

最近本当に良き縁を頂く。

何かをきっかけに誰かをきっかけに
出逢えなかった人達と出逢い、出来なかった話が出来るようになる。

これ程の【贅沢】はないと思う。

常々考えている事だか【贅沢】は私は【贅択】と捉えている。

え?どこが違うの?
サラッと見るだけでは分からない。

よ~く見ると字が違う。

贅沢は贅を沢山ではなく、贅を選択する【贅択】

つまり、自らが選択する事が出来る。
これが何よりの贅択だと思う。

ちなみに「贅」の文字の意味は

むだ。よけいな。
いぼ。こぶ。

つまり、実は無駄や余計な事を沢山出来るから【贅沢】となる。

だからこそ、私は無駄や余計な事を選択出来たら【贅択】だと思う。

「選択する事」

これこそが贅択の入口だと思う。

自らが選択出来る状況。自らを選択肢に入れてもらう状況。
この両方が満たされた時、実は【贅択】は広がる。

沢山を求めなくていい。

選択を求めよう。誰かの選択肢に入ろう。

【贅沢】から【贅択】へ

私は「無駄」「余計な事」を自ら選んで楽しむ。
私は自らを選んで貰い「無駄」「余計な事」を面白くする。

情報武装から行動証明へ

かなり多くの方から日々ご連絡を頂く。

大きく分けるとその内容のほとんどが

【長い視点で見た場合の企業のブランディングについて】
【海外展開における企業の新しい価値創造について】

これに当てはまる。

つまり、現在の世の中はその部分の選択が多くの企業の分かれ道になる。

GIFT Corporationが相談を頂く企業の大半が3億~20億の企業が多い。
つまり、このミドルレンジの企業は「ブランド価値」についての転換期にある。

「朝の情報番組に出ました。」
「雑誌に取り上げられました。」

正直、現在のご時世でこれに大きなブランド価値はない。

みんなその手の訴求は飽きているし、一過性で風化も速い。

そんな中で重要なブランド価値の指標は
「誰に選ばれている」という明確なファンの具現化にある。

悲しもがな【メディアに取り上げられた】=【ファンがいる】ではない。

強い固定ファンがいたらメディアに出る必要もない。
これが現実だったりする。

つまり、誰を喜ばせ、誰に強烈に支持されているか。

これは企業も人も同じ。

「あなたが言うなら」
「あなたとなら」
「あなたがいる場所なら」

これで全ては決まる。

勿論、ここを作るのは簡単ではない。
でも、風化する当たりを探すより、残る姿勢を貫いた方がいい。

その企業・ヒトが選択する行動や姿勢は全てを証明してくれる。

情報武装から行動証明へ

面倒くさいを足す。

不思議と年末になればなる程 時間が出来る。

そうなると面白い方とゆっくり話せる時間も増える。
私は4人以上の飲み会には基本的に出ない。

盛り上がるのは確かに楽しいが話しが割れてしまっては意味がないし、折角の機会ならきちんとゆっくり深く話したい。

その中で服部料理学校の服部先生とお話をさせて頂く機会があった。

料理人育成、料理学校の経営

話していて聞きたい話しが沢山あった。

私はその中で聞きたかった質問をした。

「沢山の料理学校の卒業生達で10年料理人を続ける人は大体何人くらいですか?」

服部先生
「きっとひと学年が100人だとしたら1人いるかいないかだと思う。」

「意外と少ないですね。では、その1人は他の人と何が違うと服部先生は思いますか?」

少人数だと質問も深く出来る。

服部先生
「私は父から料理学校を引き継ぐ時に【料理は楽しいか?】と聞かれた事がある。もちろん楽しい。と答えた。そしたら、【料理をする時に全ての下準備、工程に面倒くさい。と言いながら料理してみろ。】と言われた。」

カレーひとつ作るのにも
洗うの面倒くさい。
皮剥くの面倒くさい。
切るの面倒くさい。
炒めるの面倒くさい。

とにかく、面倒くさいが多かった。

「つまり、料理はめちゃくちゃ面倒くさいものだ。でも、【そこにひとつ余分に面倒くさいを足せる奴だけが残る。】」

私はこの言葉が心に残った。

【面倒くさい事に面倒くさいを足す】

これが出来る人が「こだわり」「オリジナリティ」を生み出す。

どこにどんなタイミングで何を加えるか。

それはその人自身が決める事。

私は私の日常にどんな「面倒くさい」を足しているだろうか?

あえて細かく伝えて有言実行する。
小さな事にも熱量を持って行う。
常に向き合う相手にめいっぱいの誠実さを持つ。

私は私の人生に必要な「面倒くさい」
(こだわり、らしさ、オリジナリティ)を足し続ける。

面倒くさい生き方をしている私が私自身にさらに面倒くさいを足して行く。

それに磨きをかけ、磨き合える方と出会う。

さらに面倒くさい自分になるのが不思議と楽しみだ。
みんなには先に「ごめん」

自分自身にどんな「惹き」があるか

本当に多くのご縁に恵まれている。

そのご縁がご縁を呼び広がっていく。
前にも書いたかもしれないが私は多くの人に会うタイプではない。

昔の私を知っている人ほど「そうか?」と思うかもしれないが、
年々、年々・・人と会わなくなって来ている。
明らかに1人の時間も増えた。

4人以上の飲み会・食事会には基本的に行かない。
信頼している方からの紹介でない限り会わない。
きちんとした紹介のされ方でない限り長時間話さない。

え・・・めちゃくちゃ性格悪い・・
そう思われるかもしれない。

でも、そうでないと何を話していいのかも分からないし、何も生まれない。

だからそうなればなるほど「人と会う」と言う機会が減って来ている。
にもかかわらず、

なぜか面白い仕事が次々に舞い込んで来て、
面白い人と次々に出会う。

なぜだろうか。自分でもフッとした瞬間に疑問に思っていた。

それには理由があった。

私を理解してくれた人がフィルターになり出逢わせてくれる人はめちゃくちゃ面白い。
こんな感じの私に興味を抱いてくれる方とはめちゃくちゃ強い絆が生まれる。
私が【出来る事】が明確で誰とどう組めばいいのかめちゃくちゃ分かり易い。
(※出来る事が少ないが為)

この様に私は周りの方々によって「活かされている」

生きているのは勿論だが、「活きている」

イキイキする為には人の役に立つしかない。
イキイキする為には誰かと強く必要とし合うしかない。
イキイキする為には本気で向き合い、本気で能力を示すしかない。

活かしてもらっている私は誰をどんなタイミングで活かしてあげられているだろうか?

人に会わなくても「惹き」はある。

耳あたりの良い言葉に惑うな。

最近ブログを通じて出会う人が不思議と多い。

「誰々さんがブログについて書いてました。」
「誰々さんから進められて読み始めました。」

とても有難い事だとつくづく思う。

その中でもたまに聞かれることがある。

「誰か目標、憧れの人はいますか?」

正直、全くいない。
こういうと物凄く高飛車な言い方かもしれないが、人に憧れた事がない。

新卒で入社した会社も本当に多くの優秀な人達がいた。でも、「憧れ」は持った事がなかった。

それよりも自分がその人から何を吸収して、どの部分に影響を受けずにオリジナリティを残すか。
そんな事ばかり考えていたように思う。

でも、オリジナリティを出す。
これは物凄く長い長い戦いだと思う。

今でこそメディアや誰でも彼でも言う「個性」
この「個性」という言葉を私は全く信用していない。

「個性」は自分が磨いてきたものが
誰かの目に留まった時、誰かの役に立った時、初めて意味を持つ。

「本当に昔から〇〇な部分はずっーと変わらないよな。」
「お前の〇〇な部分に実はすごく助けられているよ。」

こう言われて初めて【個性ポイント1】

それが人伝えで伝わり、伝わり・・・個性ポイントが増えて行く。

そうなると
「この仕事を任せたい。」「あいつの意見が聞きたい。」とそれを必要とする人・案件が集まってくる。

つまり、ポイントを持たない人が
「自分の個性が・・・」
「自分の個性が生かされない・・・」

そんな発言をしても周りに何も生む事は出来ないし、
言えば言うほど虚しくなる。

個性はみんなが各自持っている。
でも、その個性を必要とするか。されるか。が何より重要であり、
何よりの存在意義の証になる。

「よく聞く耳当たりの良い言葉」

これに惑わされてはいけない。

「憧れ」「目標」「個性」「自分らしさ」

こんな言葉にいつまでもしがみ付いては自分になれない。

必要とされる事。必要とされる自負がある事。

常にそこが自分自身のスタートになる。
積み上げて来たモノときちんと向き合って、
さらに「積み上げたいモノ」を掴みに行く。

「自分自身の個性」は必要としてくれた人の中にある。

全力で受け取る!

イタリア出張から帰って来ました。

今回、旅の途中でこんな質問をされました。

「今回のイタリアはどう?今までと違う?」

そこで感じた事をそのまま伝えました。

******************
明らかに違う。
なんていうか今までは【依頼したい】【興味を持って欲しい】
「何かをしに来ている」そんな気持ちが強かったけど今回は違う。
【必要とされてる。】【役に立てている。】
そんな実感が強い。
*******************

そう伝えました。

「欲するエネルギー」よりも「誰かの役に立っている自負」の方が私は心地が良い。
そう改めて実感しました。

だからこそ、どんどん面白い会社にしたいし、どんどん面白い自分になりたい。
そして、どんどん面白い方と出会い、どんどん面白い案件をクリアーしたい。

その【自負】を求めている。

それと同時に本当に多くの人にお世話になった。
みんながすごく良くしてくれて、すごく食べさせてくれて、本当に食べ過ぎた(笑)

そして、すごく沢山語り合った。

私は思っている事がある。

それは「全力で受け取る事!」

よく人の気持ちを全力で受け取らない人がいる。
遠慮もあると思うが全力で受け取らない。
与えてくれる方には全力で受け取らない方がむしろ失礼だと思う。

全力で受け取らないで
中途半端に受け取るからきちんとお返しもしないでなぁなぁになる。

私は常に好きな相手からは全力で受け取る!
思いっ切り受け取る!!

でも、好きでない人からは一切受け取らない。

自分としては単純明快だと思う。

その全力で受け取る姿勢が次の自分の姿勢を決める。

受け取った事柄を返したい!倍にして返したい!

その気持ちこそが自分自身の成長が問われる。

全力で受け取れ!

全力で渡せ!

そして、そこから自負を生む。

GIFTはそうやってGIFTをGIFTにして繋がっていく!

答えを探しても答えは必要ない。

有難い事にかなり多くの方々にこのブログを読んで頂いている。

様々な業種、様々な年齢層でありながら、個人的に連絡や相談を多く頂く。

その中で
「その時になぜそう決断したのか?」
「そのタイミングでなぜそう行動したのか?」

その様な私の「決断」「行動」の原点を多く聞かれる。

基本的に私は迷ったら決断しない。
人にも相談しない。
誰にも愚痴も言わない。
本も読まない。
他の人の事なんて思い出しもしない。

徹底的に考えて、あとはボーっと放置する。

するとある日、急にピンと来る。

「なぜそう思ったのか?」「なぜそれが出来たのか?」

その答えは1つ

「応えてくる」

私は「答え」は求めない。

他人が言う答えも、成功者が言う答えも、本で読む答えも、専門家が言う事答えも
な~んにも鵜呑みにしない。

「応え」を待つ。

つまり、自分が自分の悩み、迷いに応えるのを待つ。

【答えでなく応え】

だから私は人を応援する。

答えを言う気はない。
答えでもない。

【応えを援助する】

それが私が相手に唯一出来る事だと思う。

常に自問自答し、自分が「答え」ではなく、「応え」を出すのを待つ。

だから、

「なぜそう思ったのか?」「なぜそれが出来たのか?」

そう聞かれたら「応えが来たから」そう答えるのが一番私らしい。

多くの悩み、多くの迷いが生じると思う。

でも、大丈夫。

世の中には「答え」は溢れているが「応え」を出せるのは1人しかいない。

今日もその1人である私と私は生きて行く。

自分自身の意志を楽しむのがピュア

この2日間、とても不思議な出来事があった。

ある事をキッカケに門司港に行って来た。

そこで出逢えたのは真っ直ぐな姿勢で「自分自身を成長させたい。」と思っている女性陣と若者だった。

1人1人がピュアな姿勢で「学ぶ」「考える」「感じる」をしているのを目の当たりにして素直に感動した。

おかげさまで全国数多くの経営者とお会いし、数多くの方々と語り合って来た。

その中でも今回の女性陣、若者の「姿勢」は驚く程に美しく、ピュアだった。

その背景には西田二郎さんが温めたご縁。

そのご縁から1人1人が考えた時間。

その時間を共に過ごした仲間。

それを大切にしたいと思えた【自分自身】がいたからだと思う。

1人1人がその「ご縁」「時間」「仲間」「自分自身」とピュアに向き合った結果がキラキラした魅力に繋がっていると感じた。

この実は誰でもが日常のすぐそこにある

「ご縁」「時間」「仲間」「自分自身」

と、どう日々の中で向き合っているだろうか?

丁寧に丁寧にその1つ1つをどれだけ磨けているだろうか?

自分の生き方はこれらと向き合う「自分自身の意志」で決まると改めて確信した。

「また会いたい。」
「また話したい。」
「また聴きたい。」
「また応援したい。」

意志が自分自身に問いかけて来る。

意志が自分自身の姿勢を後押しする。

意志がある人といる時間には

ピュアさがあり、チャーミングで凛とした美しさがある。

「ご縁」「時間」「仲間」「自分自身」と

どう向き合い、何にを話すか。

それを自分が自分で決められる。

これこそが人生は豊かさだと思う。

これからさらに誰かを応援したい。

これからもさらに誰かの役に立ちたい。

これからもさらに誰かを後押し出来る自分でいたい。

そんな自分自身の意志を私は楽しみたい。

気付けばずっとして来た事。

毎日多くの方との出逢いがあります。

その対峙した方が
「この方はどんな世界観を必要としているのか?」
「この方に対して自分が出来る事は何があるだろう?」

これを考える事が楽しみであり、私の生き方です。

その中で先日、講演でこんなお言葉を頂いた。

「池田さんのお話は自分と比較すると雲の上の話のように感じる。
私はどん底から這い上がった方の話が聞きたいです。」

普段はメールをすぐ返信する私が正直、2日間くらい悩んだ。

そして、考えた。

「はたして私の人生は順風満帆だったのだろうか?」

周りからはどう思われているかは分からない。
でも、苦悩苦闘も数多くあった。

上手くいかない事。
上手く出来ない自分。
理解してもらえない事。
理解を得るに値しない自分。

そんな状況もあった。

その時、
自分なりに成功者の本を読み、成功者にも会いに行った。
どん底から這い上がった本を読み、苦労人にも会いに行った。

少し救われた気がしたり、少し強くなれた気がした。
・・・
でも、結局は何の役にも立たなかった。何の刺激もなかった。

なぜなら「人の話だから」

私がどんないい話をしようと私の話。
自慢する気も弱さを演出する気もない。

「私と向き合って来た私の話」

私が唯一伝えられる事があるとすれば

「どうやって自分自身と向き合って来たか。」
「どんな些細な事をきっかけに常に自分自身と対峙を繰り返したか。」

ここしかない。

【自分自身と対話を繰り返して来た。】

その結果が現在であり、現在もその最中である。

だから、どこがどん底かも分からないし、そんな事に興味もない。

私の私との対話は今日も続き、
どこに行くのかもどう行くのかもよく分からない。

でも、常に楽しさがそこにはあり、生き方がある。

周りを通じて自分と対話するきっかけが人生には沢山ある。

たくさん自分と話して、たくさん人と話そう。
そこからまた始まる。

職業は【思いだされ業】

多くの面白い縁を頂く。

「有志君に会わせたいと思って!」
「有志君と絶対気が合うと思って!」
「GIFTと一緒にやりたくて!」
「GIFT向きだと思って!」

私であり、会社(GIFT)がしている事を思い出してくれるのは凄く嬉しい。

私は最近、「どんな仕事か?」と問われたら「代理人【エージェント】です。」と答える。

この答は妙にしっくり来る。

GIFT Corporationの哲学は

【GIFT(才能)をGIFT(贈り物)に】

これは私自身の生きたい生きた方でもある。
つまり、私の「なりたい」とGIFTの「したい」は密接にシンクロしている。

だからこそ、私やGIFTを思い出してくれる事をとても嬉しく思う。

私達の仕事は誰かの才能を見つけ、熱量を持って代弁し、ストーリーを語り、
出逢いを生み、双方を笑顔にし、贈り物にする事。

それと同時に

【思いだされ業】

私はこう定義する。

私自身も会社も【思いだされ業】を営んでいる。

「あっ!そういえば」
「有志に聞いてみる?」
「GIFTそんな事してたよね。」

この為に日々を積み上げて行く。

誰にどんなタイミングで【思いだされるか】

【思いだされ業】をこれからも営んでいく。