耳あたりの良い言葉に惑うな。

最近ブログを通じて出会う人が不思議と多い。

「誰々さんがブログについて書いてました。」
「誰々さんから進められて読み始めました。」

とても有難い事だとつくづく思う。

その中でもたまに聞かれることがある。

「誰か目標、憧れの人はいますか?」

正直、全くいない。
こういうと物凄く高飛車な言い方かもしれないが、人に憧れた事がない。

新卒で入社した会社も本当に多くの優秀な人達がいた。でも、「憧れ」は持った事がなかった。

それよりも自分がその人から何を吸収して、どの部分に影響を受けずにオリジナリティを残すか。
そんな事ばかり考えていたように思う。

でも、オリジナリティを出す。
これは物凄く長い長い戦いだと思う。

今でこそメディアや誰でも彼でも言う「個性」
この「個性」という言葉を私は全く信用していない。

「個性」は自分が磨いてきたものが
誰かの目に留まった時、誰かの役に立った時、初めて意味を持つ。

「本当に昔から〇〇な部分はずっーと変わらないよな。」
「お前の〇〇な部分に実はすごく助けられているよ。」

こう言われて初めて【個性ポイント1】

それが人伝えで伝わり、伝わり・・・個性ポイントが増えて行く。

そうなると
「この仕事を任せたい。」「あいつの意見が聞きたい。」とそれを必要とする人・案件が集まってくる。

つまり、ポイントを持たない人が
「自分の個性が・・・」
「自分の個性が生かされない・・・」

そんな発言をしても周りに何も生む事は出来ないし、
言えば言うほど虚しくなる。

個性はみんなが各自持っている。
でも、その個性を必要とするか。されるか。が何より重要であり、
何よりの存在意義の証になる。

「よく聞く耳当たりの良い言葉」

これに惑わされてはいけない。

「憧れ」「目標」「個性」「自分らしさ」

こんな言葉にいつまでもしがみ付いては自分になれない。

必要とされる事。必要とされる自負がある事。

常にそこが自分自身のスタートになる。
積み上げて来たモノときちんと向き合って、
さらに「積み上げたいモノ」を掴みに行く。

「自分自身の個性」は必要としてくれた人の中にある。

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