同じく誕生日の自分へ

今日は誕生日。

5月5日こどもの日生まれ。

毎回驚かれると同時に言われるのが、
「有志っぽいねぇ〜」

自分でもよく分かる。

毎年、誕生日の度にブログを書いて来た。

そのブログの2014年に書いたもの。
今から5年前。

それが妙にしっくり来たし、
よく悩んでいたなぁとしみじみした。

いくつか抜粋したいと思う。

【「あと必要なのは覚悟と勇気」
この言葉を何度も聞き、何度も自分に問い詰めてみた。
確かに覚悟が足りない事も多い。
勇気があれば変わるかもしれない事も多い。
ただ、本当に必要なのは、「現在の自分、なかなかいいぞ!」そう言ってくれる自分なんだと思う。つまり、自分が一番自分に甘く、自分が一番自分に厳しい。だからこそ、自分が曖昧だと何もかもが曖昧になる。】

この「自分との対話」はずーっとして来た習慣。
おかなしな話だけど小学生くらいからしていたかもしれない。

特に「自分が曖昧だと何もかもが曖昧になる。」
自分を曖昧にするな。
曖昧な自分を受け入れるな。
これだけは常に意識して来たと思う。

【自分との戦いの中に「誰か」を入れ、「何か」を比べようとするのは「自分」だ。だからこそ、本当の意味での「自分を追求する意志」を私は持ちたいと思う。
逃げずに誤魔化さずに恐れずに適当に流さずに。
その時間は必ず自分で生きていく自分の為になると思う。】

自分との戦いの中に「誰か」を入れない。
「自分を追求する意志」を持ち続ける。

5年前の私よ

よく悩んでくれたと思う。
よく逃げずに向き合ったと思う。

あなたが向き合いたかった「現在」は最高だよ。

そして、また1年先、2年先、10年先も最高だよ。

あなたが向き合ってくれたから「現在」がある。
そして、また先がある。

ずーっと向き合って行こう。

「私は私と」
「私と向き合ってくれる人達と」

本当にありがとうございます。
毎年、最高の誕生日。歴代最高!!

平成の現在の自分を此処に。

平成最後の日

このフレーズがなんか堪らないですよね

昭和生まれですがほぼ平成と共に生きて来て、
平成元年の映像とか見ると「古ッ!!」って思うのが不思議な感覚です。

なんか今日、大晦日みたいな気分ありますもんね。

なんか「始まり」「終わり」
「節目」ってりんとしますよね。

令和とは何年の付き合いになるか分かりませんがどう世の中が変わって、自分がどうなってるのかを考えるとワクワクします。

私自身、難しい事考えずに

「誰の役に立つか」
「まだ見ぬ自分にどう近づくか」
「誰を勇気付けるか」
「誰の居場所を作るか」

ここに集中して令和を生きて行きたいと思います。

原点はいつも此処。

現在の自分を此処に。
(これは私が2005年6月2日から書き始めたブログのタイトルです。)
正直あれから14年経ちますが何も変わっていません。

私は私のまま。

現在の自分を此処に。
http://blog.livedoor.jp/welfare_for_all/archives/23898279.html

「嫌い。」と「好きではない。」

GWにブログの連投

昨日のブログもかなり反響を頂き、
あれよあれよと地銀講和、新人講和、幹部講和のご依頼を受けました。

研修というよりは講和

講和というよりはセッション

こんな考え方あるよ〜。
で、どう思って、どう行動する?
それを決めて、まず気持ちをリニューアルしよう。
みたいなのが私のスタイルです。

正直、どんな話しを聞こうが行動しなきゃ自分のいつものまま。

だからこそ、「楽しむ気がない人」「話しを聞くだけの人」と話す時間は好きではない。

私はこういう風に「好きではない。」とハッキリ言う。

ただ世の中、不思議な事に
「嫌いは良くないよ。勿体ない。」
「それって嫉妬?嫉妬は成長しないよ。」
みたいな風潮がある気がする。
現にそう人にアドバイスをくれる人も多い。

もちろん、いちいち嫌いを人に言いまわる程、無駄な事はない。
むしろ、大抵の場合一個人の「嫌い」をわざわざ聞きたくもない。

そもそも嫌いな人の話しをいちいちされても困る。

その時間が何よりも勿体ないし、
せっかく一緒にいるなら好きな人と未来のある話がしたい。

私の中では「嫌い」と「好きではない」は明らかに違う。

なんかグッと来ない。
なんかしっくり来ない。

嫉妬など微塵もなくただ違和感がある。
どんな人気があるとしても何か伝わって来ない。
そんな違和感は誰にでもあるはず。

実はこの違和感にヒントがある。

「好きではない。」と感じる事柄にこそ「新しいツボ」を見出せたりする。

「好きではない。」
なら自分なら「どう行動する?」「どうしたら好きになる?」に繋がる。

「嫌い。」からは行動は生まれない。

「好きではない。」からは「なら好きにしてみたら?好きなのはどんなの?」を出すしかない。

つまり、
自分のスタイルを出せ。
自分の味を出せ。
何か新しいアイデアを感じろ。

そう自分が自分に言ってくる違和感が「好きではない。」となる。

だから、「嫌い。」と「好きではない。」は私の中では大きく違う。

「好きではない。」と言う感覚は時に私の中の感性を刺激し、「なら好きにやれる自分になれ!」と私を叱咤する。

「好きなようにやれる自分になる。」

そんな自分を実現する為に工夫し、試行錯誤し、語り、磨き、分かり合い、認め合うを繰り返す。

わがまま言う為に今日もひたすら努力。

楽したい人。楽しみたい人。

最大10連休。

たまにはいいですよね。

みんながお休みのGWだからこそブログ連投しようかと思います。

書く事自体は好きなので着の身着のままに書きます。

最近、ふっと気がつくとほとんど稼働してない。
(仕事らしい仕事してない…)
そんな事実に気が付きました。

「誰かに会いに行かなきゃ」
「ここに参加しなきゃ」
「いついつまでにこれしなきゃ」

こういった類の事柄が本当にない。

「誰に会いたいかな。」
「誰と話そうかな。」
「何をいつまでにやろうかな。」

そういった自分の好きを模索して、自分のクリエイティビティが試される日常を気に入っています。

それも全て周りのメンバーやお仕事をご一緒させて頂いている方々のお陰だと強く思う。

だからこそ、そんな人達の良さを引き出す為に「何が出来るかな?」「こんな仕事どうかな?」と考えて、チャレンジしてみる事が純粋に面白い。

【楽しんで楽してる感覚がある】

正直、楽したら楽しくない。

楽してる自分(責任放棄、人任せ、工夫しない、試行錯誤しない)に自分自身は気付いているから。

そんな自分が好きではないし、そんな相手を好きになる事がない。

だから、楽したくないから楽しんでいたら自然と楽になる。

さらに楽しみたいから楽しむと、また楽になる。

でも、永遠に楽しみたいから永遠に「楽だからこれでいいや〜」は来ない。

この感覚って物凄く不思議な感覚。

「こんな事したら面白くない?」「これってワクワクしない?」「自分はこんな夢がある。」みたいな話は誰でもすると思う。

女性を口説きたい男性も。
男性を口説きたい女性も。
男性から男性も。
女性から女性も。
大人から子供も。
子供から大人も。

でも、いつもそこで考える。
自分に対しても話してる相手に対しても。

「楽したい」or「楽しみたい」

「どっちを軸にその話してる?」

だから、常に「楽しみたい人」の話しか面白くないし、ワクワクしないし、共感しない。

みんなが自分それぞれを楽しんでいる。
みんなが自分それぞれを楽しみたがっている。

「楽しんでたら楽が来る。」「楽が嫌だから楽しむ。」

私にはそれが向いている。
きっとGIFTのメンバーはそれが向いている。
きっと私の心友達はそれが向いている。

だから、楽しい!

だから、すべての私自身の根源は
すべての人・企業のGIFT(才能)をGIFT(贈り物)に

実は経営者として大切にしている事

ある食事の場で

「経営者として大切にしている事なんですか?」
と言う質問をもらった。

世の中には多くの経営者がいてそれぞれ大切にしている事があると思う。

その中で私が最も大切にしている事は【語り合う事】

これだと答えた。

だからこそ、【語り合えない相手】とは仕事はしない。

「好きな物が好き」
この生き方の本質を体現している人が実は意外と減っている。

つまり、自らの「好き」を説明出来ない人が多いと思う。
もちろん、「なんとなく好き」という感覚はよく分かる。

「なんとなく好き」=自分の感覚的に好き
「なんとなく好き」=流行っているから。支持者が多いから。

これには雲泥の差がある。

実は私はこれからはより「アート」の時代が来ると思う。
各人の「好き」を語り場が必要とされる。

つまり、私の「好き」は

「語り合える人だから好き」
「自分が語りたくなるから好き」

と単純だ。

「語りたいもの」に囲まれて生きたい。

語りたい相手とストーリーが詰まった食を囲んで、未来を語りたい。

それが何よりも自分自身のエネルギーになる。

だからこそ、感性を磨く。
自分の感覚に常に問いかける。

私はいつまでもいくつになっても好きな人と「語り合う」

【存在価値】が拡大しているか?

かなり面白い展開を多々迎える出来事が常に起きている。

あるプロジェクトは電鉄系企業の子会社と取り組んでいる。
また違うプロジェクトはイタリアの有名ホテルと。

様々な文化を持つ企業とのプロジェクトは刺激的で面白い。

その中で常に意識している事がある。
それは企業人だった頃から経営者になった今でも同じ。

「どこに自ら(自社)の強みを見出すか」

「どの部分で明確に違いを見せ、役に立つか」

「どんな視点・スタンスを貫くか」

これがブレると方向性もそもそもの存在価値もブレる。

その為、常に自分自身(自社)の存在価値を意識している。

与えられた場面でいかにその要素を凝縮させるか。
前に出過ぎるでもなく、遠慮するのでもなく、
瞬間瞬間で等身大の存在価値を伝える事が出来るかどうか。

これが結果として、
【出来る】【出来ない】【分かる人】【分かっていない人】となる。

たまたまお昼時にカフェで隣に座った人達が話し声が聞こえてきた。

「あの業務は効率が悪い」
「毎日18時に帰りたい。」
「あの人は仕事が出来ない。」

どーでもいい話だ。

私が新卒で入社した会社で「会社の悪口・人の悪口・愚痴を言うな。」と教わった。
周りにも同期にも全くそういう人はいなかった。
つくづく素敵な会社で新社会人として勉強出来たと思う。
その根本的な考え方は実はとても大きい。

何が大きいかと言うと「人といる時にするべき話と自らが取りたい姿勢」を明確に表現出来るように育った。
無駄な時間はすごしたくない。
無駄な時間を過ごさせて次会いたくない人になりたくない。

私は限りある時間で【私の存在価値】を伝えたい。

だから、4人以上の場には極力行かない。
ビビッと感じない人とは無理に距離を詰めない。

本当に社会不適合な経営者だと思う。

でも、私は【私の存在価値】を証明したい。
だから誠実に真っ直ぐに。
高い集中力と自由な着眼点と感性を忘れずに。

だから、仕事は最高に面白い。
まだまだまだ私自身とGIFT Corporationの【存在価値】は増大して行く。

自分と対話

最近、書く気が全く起きなかった。

「書いた方がいいよな〜」
「書かなきゃ何してるか伝わらないもんな〜」

みたいな打算的な気持ちもあり気持ちがノらなかった。

正直、めちゃくちゃ書くべき事はあった。

アルマーニホテルのエグゼクティブシェフと現在京都イチ予約が取れないイタリアンのコラボディナーが決まったり、

ミシュランにのみ野菜を卸す京都の奇跡の農家さんと出逢い、意気投合し語り合って面白い企画を考えてたり、

あの西田二郎氏が業界初の公式便乗本の発売日が決まり堀江さん、西野さんと面白い動きが加速しまくりだったり、

GIFT自体が急成長し会社がまさに新しいステージに来ていたり、

いっぱいいっぱいネタも話題性も山程ある。

でも、書く気がなかった。

なんて言うか、「何のために書くの?」みたいな素朴な疑問に自分が「ん〜分からん。」みたいな感じだったから。

考えてみれば私のblogは昔の人の日記に近い。
昔の人はSNSなどなく常に自分の現在とただひたすらに向き合っていたと思う。

「どこどこはこんな環境…」
「だれだれはこんな心境…」

そんなのと無縁でそんな場合でもなかったと思う。

少し私はそれに憧れる。

今現在は
何でも伝わる「気」がする。
何でも分かって貰える「気」がする。

でも、それはあくまで「気がしている」だけであって、常に判断、賞賛、覚悟のその軸は自分でなければいけない。

私は今出逢える人、今起こる出来事、今の会社のメンバーに本当に感謝している。
そして、本当に常にベストを更新し続けている。

私は私と向き合って、誰かと向き合える。

だからまだまだ面白くなる。

適度に近況報告します(笑)

「格」と「箔」

イタリアから凄腕シェフを招いてのコラボレーションディナーが終わりました。

小倉Bekk様、大阪MAKIBI様 本当にありがとうございました。

1日お店を貸切にし、厨房をご提供頂き、共に調理する。

この瞬間を目の当たりにしてすごく嬉しくなりました。
本物は本物を認め、意識が共鳴する。

素晴らしい時間でした。

私は全てを実は「格」と「箔」で判断しています。

どの人がどの人と共鳴し、どの人がどの部分に気が付いてくれるか。
それを私自身も大切にしています。

「格」
物事における地位や等級などが異なることを意味する表現。

「箔」
「金属をごく薄く打ち延ばしたもの」から、「人が重んじるように外面的に付加されたもの。値打ち。貫禄」

実はこの部分は凄くデリケートであり、すべて私の主観です。

私自身の「品格」「感性」が問われます。

でも、私はこの部分にとても興味を持ち、心から楽しんでいます。

「格」「箔」が私自身到底見合わない方もいます。
でも、食らいつくのです。

ただ、がむしゃらにではなく、イメージを膨らませ感性を磨くのです。

するといつの間にかスッと引き上がるタイミングが来ます。
これはきっと個人個人コツがあると思うのであまり深くは書きません。

興味がある方は私にご連絡下さい。
私なりの方法を整理してお伝えします。

つまり、常に「誰が誰に反応するか」「誰が誰と共鳴するか」「誰が誰を面白いと思うか」

ここを私も大切にし、楽しんでいます。

今回のコラボレーションディナーは本当に多くの喜びとアイディアがありました。
関わって頂きました全ての皆様に心から感謝します。

すべての人・企業のGIFT(才能)をGIFT(贈り物)に

GIFTは何の会社なの?

新年を迎えなかなか書けていませんでした。

多方面からご要望を頂きました事、感謝感謝です。
(書かないとめちゃくちゃメッセージ来るのは本当に感謝です。。)

私の2019年は10日過ぎくらいからゆっくり始まっています。

今年も面白いご縁の中で
「新しい面白さ」「新しいステージ」「新しい自分自身」に多くの人・企業を出逢わす事が出来ればと思っています。

【株式会社GIFT Corporationは何の会社ですか?】
と聞かれたら私達はこう答えます。

【代理人(エージェント企業)です。】

元々は「食」を軸とし始まり、ワイン、日本酒、醤油を輸出輸入していましたが、
現在ではチョコレート、コーヒー豆、トリュフなども取扱いしています。

その全ての商品は3つ星ホテル、ミシュランレストラン、テレビ局、強烈なファンがいる繁盛店・・・など
かなり限られたお取引先にのみ卸をしている特殊企業です。

今では風力発電、家具、子供知育玩具、アパレルなどの食品以外の企業様の代理人も多数お受けしています。
現在では個人のアーティストやスポーツ選手のブランディングも依頼されています。
全てご縁です。

すべての作り手・企業の代理人であり良きご縁のみを開拓し、紡いで行く。
すべての人・企業のGIFT(才能)をGIFT(贈り物)にする為にブランド価値を担保する。
【代理人(エージェント企業)です。】

それが株式会社GIFT Corporationの役割だと確信しています。

そんな私達が大切にしているのが
【嗜好性】【姿勢】【クリエイティビティ】【深いファン(共感共鳴)】であり、
正直これ以外はあまり必要としていません。

だからこそ、誰と出逢うかが重要です。

毎年、新しい年を迎える前のタイミングで
「誰に時間を頂いたか。」をゆっくりじっくり思い出します。

その時間をくれた相手と自分がどう新しい年を過ごして行くか。
それを考えるのが何よりも楽しく、何よりの財産だと感じています。

自分は何者で、誰の役に立つのか?

それは自分が開拓出来たご縁と紡いだ縁の中にあると思います。

【代理人(エージェント企業)】としてまた面白い人・面白い事をより面白く。

今年も宜しくお願いします。

株式会社GIFT Corporation
代表 池田有志

2018年 平成最後を振り返って

もうすぐ2018年が終わり新しい1年が来る。
そして平成も終わる。

始まりと終わり。

これはきちんとしたい。
人間には不思議とその気持ちがある。

それはとてもいい事でだと思う。

私はずーっと昔から年越しはゆっくりする事を選んでいる。
何処かに出掛けたりも誰と会ったりもしない。

誰といたいか?どこにいたいか?

そう考えた挙句、毎年不思議と1人きりで過ごして来た。
母親の遺影の前に1人きり正座して何度も年越しして来た。

特に何もせず、何も気かけず「どんな1年だった?」と静かに自分に問いかけて来た。

そんな私の問いにいつも私はこう応えて来た。

『今年の自分が過去最高だったと思う。』

毎年毎年そう応えてくれた。

そして、今日。

『今年の自分が過去最高だったと思う。』

また私が私にそう応えてくれた。

不思議な縁が沢山あった。
会えなかった人にも沢山会えた。
やりたかった仕事も沢山出来た。
まだまだやりたい事も沢山出来た。

その人達に会わなかったらどんな1年だったろうか?
その出来事がなかったらどんな1年だったろうか?

そう思う程に濃く、深い縁にも巡り合えた。

また新しい1年が始まる。

どんな1年になるだろうか。

誰と出逢い、誰と語り合うだろうか。
何を気づき、何を大切に思うだろうか。

『今年の自分が過去最高だったと思う。』

毎年最高な自分に会えるのが嬉しい。

そんな時間を与えて下さった全ての方全ての出来事に心から感謝します。

すべての人・企業のGIFT(才能)をGIFT(贈り物)に

株式会社GIFT Corporation
代表取締役 池田有志