「嫌い。」と「好きではない。」

GWにブログの連投

昨日のブログもかなり反響を頂き、
あれよあれよと地銀講和、新人講和、幹部講和のご依頼を受けました。

研修というよりは講和

講和というよりはセッション

こんな考え方あるよ〜。
で、どう思って、どう行動する?
それを決めて、まず気持ちをリニューアルしよう。
みたいなのが私のスタイルです。

正直、どんな話しを聞こうが行動しなきゃ自分のいつものまま。

だからこそ、「楽しむ気がない人」「話しを聞くだけの人」と話す時間は好きではない。

私はこういう風に「好きではない。」とハッキリ言う。

ただ世の中、不思議な事に
「嫌いは良くないよ。勿体ない。」
「それって嫉妬?嫉妬は成長しないよ。」
みたいな風潮がある気がする。
現にそう人にアドバイスをくれる人も多い。

もちろん、いちいち嫌いを人に言いまわる程、無駄な事はない。
むしろ、大抵の場合一個人の「嫌い」をわざわざ聞きたくもない。

そもそも嫌いな人の話しをいちいちされても困る。

その時間が何よりも勿体ないし、
せっかく一緒にいるなら好きな人と未来のある話がしたい。

私の中では「嫌い」と「好きではない」は明らかに違う。

なんかグッと来ない。
なんかしっくり来ない。

嫉妬など微塵もなくただ違和感がある。
どんな人気があるとしても何か伝わって来ない。
そんな違和感は誰にでもあるはず。

実はこの違和感にヒントがある。

「好きではない。」と感じる事柄にこそ「新しいツボ」を見出せたりする。

「好きではない。」
なら自分なら「どう行動する?」「どうしたら好きになる?」に繋がる。

「嫌い。」からは行動は生まれない。

「好きではない。」からは「なら好きにしてみたら?好きなのはどんなの?」を出すしかない。

つまり、
自分のスタイルを出せ。
自分の味を出せ。
何か新しいアイデアを感じろ。

そう自分が自分に言ってくる違和感が「好きではない。」となる。

だから、「嫌い。」と「好きではない。」は私の中では大きく違う。

「好きではない。」と言う感覚は時に私の中の感性を刺激し、「なら好きにやれる自分になれ!」と私を叱咤する。

「好きなようにやれる自分になる。」

そんな自分を実現する為に工夫し、試行錯誤し、語り、磨き、分かり合い、認め合うを繰り返す。

わがまま言う為に今日もひたすら努力。

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