人それぞれ。想いつれづれ。

ブログを書く度にある偉大な経営者が直接メッセージを送って下さる。

「読んで何を感じたか。」
「何に刺激を受けたか。」
「思考の起点のどこが素晴らしいか。」

その方は大手流通業の経営者を経て、
外食産業に貢献し、
現在は顧問と海外企業支援をしている。

その方に言われた。

「君の記事を読まない人はバカだと言える。」
「そして、君の記事を読んで何も感じない人間はもっとバカだ。」

そんなメッセージを頂いて恐縮した。

私は文章を書くのが好きだ。
好きが故に常に文章にする癖がある。

言葉に想い、文章に人柄が現れる。

その中で意識している事は
読む毎に何か感じる味わいがある文章を書きたい。
という気持ちだ。

その甲斐あってか何年前の文章も自らが読んでも当時の「想いの起点」が伝わって来て、気持ちが凛となる。

自分の文章を読んでおかしな話ではあるが常に自らに伝える自戒の意味も込めて文章を書く。

いつ読むか。
どう読むか。
どんな状況で読むか。
どんな心境で読むか。
どんな印象で読むか。

これだけで全てがガラリと変わる。

この読むかを「言うか」「聞くか」「するか」
に置き換えても全く同じ。

つまり、
カッコつけても
下手に出ても
誤魔化しても
演じても

無駄。

全ては現在の自分を等身大で表現するしかない。

ある一定の評価の確証がなくても
「現時点の自分自身を表現する。」

これをやめては意味がない。

上手くいかない時も。
漠然とした悩むがある時も。
憤りや不安定な時も。
奮い立つ時も。
またはじめる時も。

自分自身へのメッセージは自分自身に発信続けなくては行けない。

それがまた自分の「想いの起点」を呼び覚ます。

人生の大先輩から毎回頂く真っ直ぐな有難いメッセージに喜びと凛とした気持ちがある。

みんなにもう一度言おう

「私の記事を読まない人はバカだと言える。」
「そして、私の記事を読んで何も感じない人間はもっとバカだ。」

こう言い切れる人生を生きたいと私は決めている。

継続する勇気を持つ人

お楽しみ様です!
有難い事にすでにワクワクが目白押しの絶好調です。

私自身、起業してからさらに強まった意識があります。

それは
「好きをとことん。」
「自分を成長させるのは自分。」

この二つです。

正直、現在の世の中に見受けられる
「個性を大切に!」
「やりたくないはやらなくていい。」
みたいなのとは明確に異なります。

「好きをとことん。」
自分自身に与えられた時間の中で自分に投資する時間を自らが作り出すという意味。

「個性を大切にしたい!」「私の個性が生かされない」そんな馬鹿げたチンケな言い訳で何かやるべき時間に個性を優先するのではなく、如何なる場合でも自分に与えられた時間の中で自分に投資する時間を作る事。

「自分を成長させるのは自分。」
自分に来る事柄は自分の行動次第で次のチャンスが変わるの意味。

「やりたくない事はやらなくていい。」ではなく、
どんな状況、案件も自らが引き寄せている限り全力で向き合い成果を出さないと次のステージの自分には会えない。

「時間がなくて…」
「環境が合っていなくて…」
「個性が生かされなくて…」

そんな事に意識が行く時点で
自分自身の本当の「好き」が何だか分かっていないはずだし、やりたい、やりたくないを選ぶ立場にもない。

訳分からない世の中の風潮に流されていたら余計に自分を見失う典型だ。

つまり、
置かれた環境で役に立ち、貢献し、価値を生む。

この繰り返ししかない。

他人、他社がどうだから。
現在の時流、流行りはコレだから。
こういう時代だから。

こんな事どうでも良い。

マーケティングとかマーケットインとかどうでも良い。

自分が追求し続ける覚悟があるか。
どれだけ好きの為に時間、費用、手間を投資出来るか。
自分自身を楽しめるか。

この最強のプロダクトアウを続けられるかに尽きる。

私は最強のプロダクトアウト(継続する勇気)を持っている人が好きだし、その人が幸せなのを知っている。

大切なのは流れに乗る事でも、
流れを読む事でもなく、
流れの中を自らの意志で漕ぐ事。

如何なる環境、
如何なる場合、
如何なる状況でも
プロダクトアウト(継続する勇気)を持っている人はイキイキしている。

「個性を大切に!」
「やりたくないはやらなくていい。」

こんな言葉に騙されるな。
こんな環境に甘えるな。

「好きをとことん。」
「自分を成長させるのは自分。」

そう思っている人とその間にも差がついている。

時流、流行り、情報、最先端

こんな中に答えはない

自分が与えられた時間、環境の中で
身近な方の役に立つ方法
自分が出来る全力
自分が感じる感性

それを出し続ける事

『自己探求』
『最強のプロダクトアウト(継続する勇気)』
が何よりも自分と周りを救う。

進む!2019→2020

2019年もありがとうございました。

それぞれが色々な感想を持った1年であり、
それぞれが色々な感覚を培った1年だったと思います。

私は定義している。

仕事とは
【社会構造での遊び】
【応援する対象を決める事】

私の強みは
【誰かのGIFT(才能)をGIFT(贈り物)にする事】
【価値を見出し価値向上する事】

「合う」
「合わない」

ようは

「しっくり来る事柄」
「しっくり来ない事柄」

そんなの日常の中で
食、店、服、人でも何でもある話し。

大人になればなる程、
生きて行く中で「合う」「合わない」を判断基準にして重要視しがちだけど、実は無駄に発達させ過ぎたら自分自身を狭くして、こじらせて、迷子にさせる感覚が「合う」「合わない」理論だと思ってる。

「合う」「合わない」なんていうくだらない感覚を気にして時間をかけるよりも「自分を越える自分に出逢うキッカケ作り」に現在の全ての時間を使いたい。

だから、
面白い人に会う。
面白い話しする。
面白い事をする。
面白がって笑う。

単純にこの繰り返しを常に繰り返す。

この繰り返しで
誰かの役に立てたり、
誰かを笑顔にしたり、
誰かをやる気にさせたり、
誰かとワクワクしたいだけ。

その中で感覚を研ぎ澄まして行く。

つまり、
「合う」「合わない」とかよりも一緒にいるかいないか。必要か不必要か。
とことん居るか。バッサリ居なくなるか。
ただそれだけ。

「合う」「合わない」とかを軸にして関係性を微調整しながら疑心暗鬼に距離感を考えながら一緒に居なきゃいけないならそれはまだまだ自分自身が未熟でお子ちゃまって事。

相手に疑心暗鬼になり嫉妬を起こしたり、
些細な事に期待して見返りを求めたり、
自分の自信の無さで相手を下げたり、
そんな事をしている暇は私にはない。

【社会構造での遊び】
【応援する対象を決める事】

この感覚で常にいたいだけ。

【誰かのGIFT(才能)をGIFT(贈り物)にする事】
【価値を見出し、価値向上する事】

この強みを全開で活かすだけ!

自分を甘やかしたり、
自分を自惚れさせたり、
自分本位にさせたがる甘ちゃんな自分に

「おい!そんな事してないで、この先になんかさらに面白そうなの見えるぞ!早く行こうぜ!」と自分で自分を誘い出しながら次に進むのが何より大切!

この先にある眩しく輝く「自分を越える自分」と思いっきり対話して、思いっきり笑い合える自分になりたい。

だからこそ、

2020年に「自分を誘い出す自分」に会うのが何よりの楽しみだったりする。

そしてまた2020年の年末に2019年の自分を越えた2020年の自分と同じステージで一曲歌いながら「来年はこんな事を『自分を越える自分』と一緒にしようぜ!」ってキャッキャ笑い合いたい。

現在の私が「出来る事」「したい事」をガッツリ伝えて、常に未来の私が面白がって、さらに面白いに誘い出してくれる人生が一番面白い。

そして、何年後かに何年分の自分とみんなで並んで一緒に相変わらず『自分を越える自分』を酒の肴にして一杯酌み交わしたいな〜なんて妄想している。

2019年の出会いにありがとう。
出会いがあるからさらに楽しい。

2019年のみんなにありがとう。
みんなといるから私は磨かれる。

2019年の私にありがとう。
あなたがいるから私は幸せ。

私は何に時間を使うのか?

「YUSHI IKEDA On Black」への物凄い反響をありがとうございます。

本気でなぜやるのかを考えて、
やるからには本気で楽しんで、
真面目にふざけていると面白くなる。

どんな「らしさ」を活かして、
どんな「世界観」を訴求して、
どんな「人物像」と興味、共感を得るか。

正直、この繰り返しは頑張っていたり、環境やステージを変えたら誰かがいきなりくれるものではなく、
自らの「らしさ」「世界観」「人物像」が巻き起こすのです。

つまり、どれだけ自らの「らしさ」「世界観」「人物像」を磨き上げ、絶えず楽しんで、チャレンジ出来る自分かどうか。

その自分にだけワクワクやドキドキが訪れて、
その自分だけがすべてを「楽しめる」のです。

私の苦手な言葉は「損して得とれ」

きっと素晴らしい忍耐力と戦略眼のある方が言った言葉だと思います。
でも、苦手です。

なぜなら、
まず私にその忍耐力と戦略眼が欠如しているからです。

そして、何より単に私は「打算的思考」が苦手です。
つまりはその損に含まれた下心、次回への遠回しの期待をしている私を私は嫌いです。

私が好きな言葉は

「一石二鳥」

やるからにはお互いが面白い方がいい。
やるからにはお互いが真剣な方がいい。
やるからにはお互いが後で笑える方がいい。

だからあくまで

本気でなぜやるのかを考えて、
やるからには本気で楽しんで、
真面目にふざけていると面白くなる方がいい。

その中で私が信頼するのは日々を積み上げて来た

私の「らしさ」「世界観」「人物像」

そして、

相手の「らしさ」「世界観」「人物像」

そこを互いが磨き上げ、絶えず楽しんで、チャレンジしていたから、

一緒にいたり、
本気になったり、
大真面目に悪ふざけしたりする事が出来る。

あくまで「私は私」で「あなたはあなた」

でも、

【私の「らしさ」「世界観」「人物像」】はあなたのおかげであり、【あなたの「らしさ」「世界観」「人物像」】に私が少しでも関われている。

『そんなあなたと私で仕事がしたい。ゆうし』

つい【相田みつを】みたいになりましたがそんな気持ちです。

これが私の姿勢です。
有難い事に様々な要望、ジャンルの仕事の依頼を頂き過ぎて訳分かりませんが訳分からないくらい楽しいです。

私の「らしさ」「世界観」「人物像」が誰かの役に立ち、「一石二鳥」を生むように。

今日も磨き上げて、絶えず楽しんで、チャレンジしたいと思います。

本気でなぜやるのかを考えて、
やるからには本気で楽しんで、
真面目にふざけて、面白く。

「新しい」より「改めてまして」

職業が変わってからものすごい勢いで「新しい」が押し寄せて来ています。

新しいプロジェクト
新しい紹介
新しい出会い

ただその中でやはりしっくり来るのは「改めて」だと実感しています。

もちろん「新しい」は刺激的だし、ドキドキする。

でも、「改めて」の中にある

既に経験していた事
既に紹介されていたヒト、コト
既に出会っていた人

に対して「改めて」向き合うのはなんだかジワっとすると「改めて」思った。

何を経験するのでも「いつ」経験するかで違う。
何かを紹介されるのでも「どう」紹介されるかで違う。
誰かと出会うのでも「誰から」紹介されるかで違う。

つまり、「新しい」を求めているうちはまだまだ未吸収、未消化で「改めて」からいかに栄養を採れるかで違う人生にもなると「改めて」感じた。

新しい自分になろう!
新しく一歩を踏み出そう!
新しいを経験しよう!
新しい苦労は買ってでもしよう!

正直、この言葉にやらなきゃいけない焦りを感じたり、刺激がある感じを受ける必要はない。

私は世の中に似非教祖、似非概念、似非宇宙人が増えている気がしている。

今までは宇宙人が「私、地球人ですよ。」と顔をしていたが、今では地球人が「私、宇宙人なの。」という顔をしている。

正直、生まれた星なんてどこでもいい。
ジワっと感じて好きかそうでないかしかない。

「新しい」に刺激を求めるばかりではジワっと来ない。

「改めて」自分を信じて、
「改めて」自分の環境に感謝して、
「改めて」好きだ!に全力を出す。

巻き込む量や強さを気にする事はない。

「改めて」出来る事を着実に。

昔、亡き母に言われ残っている言葉がある

『膝を屈めて小さく見せても、背伸びをして大きく見せてもバレたらカッコ悪いでしょ?あなたはあなたの等身大で生きなさい』

だから、私は「改めて」を大切にしたい。

まだまだ私の未吸収、未消化は

何を経験するのでも「いつ」経験するかで違う。
何かを紹介されるのでも「どう」紹介されるかで違う。
誰かと出会うのでも「誰から」紹介されるかで違う。

可能性に満ちている。

私、職業が変わりました。

私は新卒でコンサルティング会社に就職しました。

その会社で目指したのは『一流のコンサルタント』
『一流のコンサルタント』になれる強者が全国から集まって、全国に会社と個人の名を馳せていました。

ただ私は「コンサルタント」という言葉がどうも苦手で10年近く会社にいながら薄々自分のキャラクターと「一流のコンサルタントを目指す自分」が合致していない事に気づいていました。

私は緻密でもなんでもない。
ルール通り、セオリー通りが全く出来ない。
流行に大して敏感でもないし、乗る気もない。
美味しいお店はやたら詳しいけどマーケティング上手なお店とか好きではない。
時流という概念は好きだけど自流を作りたい。
工夫したいと感じた事への知的欲求だけ異常に高い。
人から言われる「これ良いよ」に殆ど反応しない。
素直なのは好きな相手にだけでほとんど人と接しない。
異常なまでに高いコミュニケーション能力を持つコミュ症。
「良い」「好き」と自分が感じた人、コト、モノへの想い入れが強い。
ニッチだがやたらと高感覚、高品質の感性は持ち合わせている。

つまり、「自流」であり、世の中で言う知的な『一流のコンサルタント』にはなれない存在なのです。

そこで独立してから見つけたGIFT Corporationの根幹である最高の立ち位置は『代理人』でした。

好きな人、コトを熱く語って魅了する人。
その人、コトに面白がる人を集めてくる人。

ワイナリー
料亭
旅館
食品メーカー
伝統工芸職人
アーティスト
アスリート

今でも多くの企業、人の『代理人』をしています。

私達が日々行っているのは、
彼らの本質的価値を分かってくれる相手に伝える。
価値を向上させ、新たなステージで新たなチャンスを掴みキッカケを与える。

すべての人・企業のGIFT(才能)をGIFT(贈り物)に

それがGIFT Corporationの生業です。

でも、最近いい言葉を教えて貰いました。
それは私の感覚がドンピシャな親友がサラッと言った事でした。

「salvage」救済する。引き上げる。

そこでビビビビッと来てしまいました。
私が本当にしたくて、していた事って実は

「代理人」であり、「salvage」なんじゃないかな?

価値を分かるはずの人にきちんと伝えたい。
奥深い価値がジワ〜っと伝わって欲しい。
自分を追求する人、企業にやり甲斐、自負を生みたい。
新たな可能性にワクワクして欲しい。

それって「本気でこのイイをsalvageしたい。」って思ったからかもしれない。

皆様にご報告があります。
今日から私は「salvagest」サルベジストです。

そう思った時に私自身のキャラクターと合致したんです。

私、「salvagest」サルベジストでした。
※この言葉はWEB上に存在しませんでした。

私の職業、「salvagest」サルベジストでした。
私の会社、「salvagest」サルベジスト集団でした。

職業が変わりましたが、
これからも変わらず好きなように生きて行きます。

素晴らしき強者ばかりの人生の先輩方、
私より恐ろしい程に優秀な年下の皆様方、
これからも変わらず御指導、ご鞭撻をよろしくお願いします。

私が私を急に整理するとこうなる。

最近、全く書きませんでしたがたまに書きます。

しかも、誰かに向けて書いてるかはわかりません。

最近、気づいた事があります。

私自身、誰が読んでいるかも全く意図していないで書いてる事に気づきました。

よく言う
「誰がターゲット?」
「何を目的として?」
「どんな落し所?導線?」
なんて言うのは私には全く関係ないのです。

好きな事を好きなタイミングで書く。
だから、何を書くか。いつ書くか。

これも私にしか分かりません。
私もよく分かっていません(笑)

誰が読んで頂いて、何を考え、感じてくれているか。

そこにフォーカスするよりも、

読んで頂いた方が「どう行動するか。」
飲みの誘いをくれる。
相談を受ける。
会いに来てくれる。

これだけを求めているのだと分かりました。

私はコンサル会社にいましたが、
正直、マーケティングに興味がないのです。

「誰がどうしてる。」
「何がどうウケてる。」

よりも、

「何がしたい。」
「何をどうやり続けたい。」

人に対しても自分に対してもそこだけに興味があります。

なので、
そこをどう達成するか。
どの道筋を誰とどこを通って行くか。

それを考え、察し、感じる毎日が純粋に好きなのです。

私は毎日何かを発信するタイプでもないし、
何かしている感を出すタイプでもない。

たまに思った事を書いて、こんなんしてます。
久しぶりに会いたくなってくれたらまた話しましょう。
そんなタイプです。

私が最近、注目しているのは

工夫する意志の有無。
イマジネーションをシェアする。

この二つです。

工夫する意志がない事。を私はしません。
工夫する意志がない人。と私は会いません。

つまり、何か工夫の余地がある。とワクワクしている状態のワクワクしている人が私と会うと効果が増します。
そんな人の新たな活力を見出すのが得意です。

また、イマジネーションをシェア出来ない人とは会いません。
私が言うイマジネーションとは何かの達成目標やビジョンとは多少異なり、

自らの行動の決め手となる根源。
(何にワクワクしているか)
何を誰とどう楽しむつもりなのか。
(子供で言う誰と何をして遊びたいから外に飛び出すのか)
誰の為にどれくらい役に立ちたいのか。
(何が自らのエネルギーの源か)

ここを重視します。

なぜなら何となく会って話す位はお互い大人なので表面上は上手く出来ますが、結果的に特に何も生み出さないからです。

こう言えば言うほど、

「会いづらい。」
「変わってる。」
「ドライ。」
「友達いない。」
と言われますが…

私の人生の目的は

『会いたい人に会いたい時に会いたい分だけ会う』

なのでこの様な自らをさらけ出した自らの腹の内のイマジネーションをシェアした時に会いたがってくれた人に会いたいのが本音です。

今回は私のトリセツみたいになりましたが私自身は周りに恵まれ、お金に愛され、アイデアがパッと閃く有難い人生を無事に歩んでいます。

また私が巻き起こすややこしくも面白い事に巻き込まれてくれたら嬉しいです。
私もガンガンややこしくも面白い事に巻き込まれて行きます。

面白いと思える自分になるという事

久しぶりのブログ。

本当に書きたい時に書くこの癖は治らない。

最近つくづく思うのは「本当に面白い仕事出来てて幸せだな。」という事。

私の考える面白いは
①人の役に立っている実感がある事。
②創意工夫の裁量が自分にある事。
③相手から明確な役割、存在への信頼がある事。

これが揃っていると面白いは連鎖する。

この3つを手に入れるには単純だ。
自らの独自能力を日々進化させる事。
役に立てる相手のタイプを明確にする事。
やると決めたらとことんやる事。

ここに集約される。

毎回書くが
「有志、何してるの?」
「GIFTって特殊な会社だよね。」
という内容は答えても答えてキリがない。

なぜなら私自身も物凄いスピードで面白い事に巻き込まれて、巻き込んで行く為、楽しくて仕方ない。

ダウンタウンDXを生んだ西田二郎氏に言われた。

「有志くんはハエ取り紙やな!なんか引き寄せられんねん。で、ビターッ!!となると中毒性がある。しかも、周り見ると同じような奴ばっかりや!みんなくっ付いてる(笑)」

相変わらず面白い表現だし、ズバ抜けた感性だなぁと思う。

私はハエ取り紙であり、ある人から言わせるとヒラヒラさせて猛獣をいなす、闘牛士らしい。

確かに私の周りには猛獣しかいない。
だからこそ、私に役割をきちんと考えさせてくれる。

私はこんな人生を望んでいたし、まだまだ望みたい放題に生きていく。

①人の役に立っている実感がある事。
②創意工夫の裁量が自分にある事。
③相手から明確な役割、存在への信頼がある事。
この実感を生む仕事を常に面白がり、

自らの独自能力を日々進化させる事。
役に立てる相手のタイプを明確にする事。
やると決めたらとことんやる事。

ここに集中力を使う。

今日も地球は回る。
今日も私の頭の中と心の中は回る。

オモロいを育てよう!

イタリアで感じた事

イタリアから帰国しました。

今回は1週間の滞在でしたがかなり有意義な旅となりました。

目的は2つ

①いつも感謝しているメンバーの家族に会う事。
②感性を刺激し、新たな感性を引き出す事。

この2つを思いっ切り満喫し、実感出来た時間になった。

①は本当にずっとしたかった事。
私を常に支えてくれるメンバーの家族に会って、直接気持ちを伝え、私という存在を伝えたかった。

その事が今後のやり甲斐や家族との話題に繋がって欲しいと考えていた。

メンバーの家族との時間が何より私の好きな時間になった。
本当にみんないい息子、いい娘だなぁと感心した。

②にも繋がるが「アペリティーボ」
※食事前の飲み、つまみ、語り合う時間。

このイタリアでは当たり前だが、独特の時間が物凄く家族の絆や時間を生み出していると再認識した。

アペリティーボは家族と食事をする前に近所の人、親戚が集まってする事が多い。
うちのメンバーとメンバーのお父さんの同級生とのアペリティーボにも参加した。

その中で素晴らしかったのが
お父さんの同級生、近所の人など世代の異なる人に対して娘、息子が会話を作り、場を盛り上げる。

こんな光景を日本ではなかなか見た事がない。
私も昔、家によく父の仲間が来ていたが子供は離れた場所にいた記憶がある。
ただ、私はよく大人の会話に聞き耳を立てていて、父がたまに会話を振ってくれた記憶が今でも残っている。

子供が親や親の友達に対して会話を作り出し、場を盛り上げ、違う世代とコミュニケーションを取る。

この場面は私の2つの目的を一気に解消してくれた。

子供は大人の会話のそばに居るべきだ。
今は分からなくても大人の時間を記憶させるべきだ。

そう思った。また、
大人はいくつになっても若者のそばにいるべきだ。
若者がする話題に興味を傾けるべきだ。

私は常に「向き合う」を重視する。

人間関係も感性も自分自身とも「向き合う」で得た事を重視する。

だからこそ、今回のテーマの
①いつも感謝しているメンバーの家族に会う事。
②感性を刺激し、新たな感性を引き出す事。
は私にまた新たな感性と喜びをくれた。

私は大人数との時間は向いていない。
好きな人、好きな人が好きな人と小さい輪の時間が好きだ。

でも、大人数の輪はいつか途絶える。
実は好きな人の好きな人の輪は永遠に続く。

私は私のやり方と「向き合う姿勢」でまた人を好きになる。

自分の楽しみ方、私流 感度の上げ方

誕生日ぶりの記事。

「有志、最近何しているの?」

よく聞かれますが特に変わらずに日常の中で

面白い事に着目し、
面白い人と面白い人を会わせ、
面白い人から強烈な人を紹介され、
自分好みの時間を過ごしています。

思い付かなければ特に人にも会わないですし、
特にどこにも出掛けずにいます。

その代り、
ピンッと閃いたり、アッと思ったらすぐに行動に移します。

【何の概念もなく、今起きている現象がどう面白くなるか。だけを考えている】

その為に
自らが取るべき行動はどれで
連絡するべき相手は誰で
協力してもらいたい相手と事柄は何で
どんな動きを生み出したいのか。

常にそこを楽しみにしてます。

正直「こうすべき」「これが正攻法、王道」みたいな考えはない。

「こうしたら役に立てる」「こうしたら今後、面白い」しか考えていない。

つまり、先を感じない、先が香ってこない事は私にとっては面白くない。

実は現在している事、起きている事は『見たい』に繋がっているかもしれない。
見通しは自らで立てるものであり、自らが見たい先に続いていないければ意味がない。

だからこそ、
【現在をどう面白がる事が出来るか】【誰を面白がらせる事が出来るか】が最も重要だと私は思っている。

その中で常に自分の感度を磨いている。
感度が落ちる時もある。

でも、その時に大切なのは
「感度を呼び覚ます事」   →自分のペースを見出す、会えてリズムを変え間をズラす
「感度有る相手に食らいつく」→感度を感じる人から吸収する。その人の役に立つ。
「感度を表現する」     →どんな形でもよいので役に立つ。見える化する。提供する。

これを繰り返す。
そうすると不思議としたい事や会いたい人に出会える。
そして、さらなる「面白がりたい自分」に会える。

私にとってはこの文章作成もその一つだったりする。

今日も私は私を楽しむ