進化は必要。けど、変化を愛そう。

さまざまな事が便利になり続けている。

スマートフォンがあれば大抵の事は出来る。
連絡、検索、買い物、電車の乗り降り…

助かっている事も多い。

AI、DX、NFTなどさらに便利さは進んで行く。

手に取った雑誌にドバイが目指す未来都市のイメージが載っていた。

もうよくないか?

正直、そう呟いてしまった。

本来の生活の拠点である地面の上からどんどん離れ、
高い場所で暮らす。

本来の姿である森林は切り倒され、
綺麗に整備され、整列した木や建物が並ぶ。

人間は「便利さ」「快適さ」を言い訳にして、
何を目指すのか。

私は正直、分からなくなって来た。

サラリーマンだった頃によく耳にした言葉。

【コンフォートゾーン】

それを当時は「ぬるま湯(心地いい状態)」と表現され、
進化しない奴、努力を怠っている奴。いう解釈で使われていた。

進化を続け、便利さを追求し続けるのが正義だとしたら、
現在の私はまさにコンフォートゾーンにいる。

もうよくないか?にいる。

ふっと、考えた。

自分の子供=未来の大人、未来の子供に残すべきなのは果たして止まる事のない便利さの追求なのだろうか?

地面に寝っ転がったら気持ちいいよ。
たまには裸足になってみたら?
森林で遊ぶと面白いよ。
川の水って冷たいよね。
夏の日陰って気持ちいいね。
夜って真っ暗で星が見えるね。
やっぱり、月の明かりって明るいね〜

未来の大人はこんな会話をしなくなるのかな?

私達が子供も頃から現在まで物凄いスピードで世の中は進化して来た。

でも、おじいちゃん、おばあちゃん、自然、田舎…
が、たまに何気なく教えてくれた事が心に残っている。

子供達に残すべきは便利さではない。
現在の便利は未来の不便かもしれない。

子供達に残すべきは感性だ。

自然から感じる力、自然を想う心。
自然はやはり偉大だな。
便利さとは逆方向の良さってあるな。

そう思う未来の大人が増えたらいいな。と思う。

進化進化。はもういいよ。

自分にとって。
住む町にとって。
子供にとって。

私は私の手の届く範囲の「必要な変化」とゆっくり向き合って行く。

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