本当の情報弱者は誰だ?

最後のブログを書いたのがちょうど約1年前。

最近、出逢って親しくなった方は「ブログしてたの?」という位かもしれない。

本当にいい出逢いに沢山恵まれている。

行政から公民連携特定事業者として委託されている子どもの為の複合型施設の経営。

神奈川県が有する大自然の森林8割の山北町のPRを主軸としたふるさと納税包括支援業務の締結。

多数の面白い企業の経営参画、取締役。

その中で最近、よく思う事がある。

『情報化社会』という言葉が馴染んで既に20年以上。
1990年代半ば以降インターネットや携帯電話の普及に伴い、情報化社会と言われ、概念的には1960年代前半にまで遡るとされている。

【Facebook】
創業2004年2月4日 (18年前)

2006年9月26日以降は一般にも開放。
日本語版は2008年。
2012年ユーザー数は10億人を突破。

【Twitter】
創業2006年3月21日 (16年前)

日本語版は2008年。
2019年アクティブユーザー数は3億3000万人。

【Instagram】
初版2010年10月6日(12年前)

日本語版は2014年開設。
2012年アクティブユーザー数は12億人を突破。

まだまだこれから新しい何かは次々と生まれる。

その中で本当の情報弱者は誰なのだろうか?
そんな事を最近よく考える。

情報弱者とは…『情報の探索や評価のための基礎的な知見や能力が乏しかったり、情報機器の基礎的な理解や入手、操作が困難だったり、メディア環境や通信回線などの情報インフラが貧弱な事』

これが「情報格差」を生むらしい。
ふーん。という感じだ。

確かに世の中は便利になり続けている。
今まで知らなかった事が調べたらすぐに分かる。

だからこそ、
みんなすぐ調べるし、すぐ他人の評価が分かる。

そこで判断をし、また誰かの判断材料の一部になる。
それを繰り返す。

情報が溢れる便利なツールにはその情報を正しそうに思わせたり、はたまた間違っているかの様に思わせたりする誰かが書き残した「らしい。」しか貯まらない。

そして、ある特定のツールに頼れば頼る程、
実は情報は偏って行く。

「良さそうに見える。思える。」
「イマイチそうに見える。思える。」

好きだと思って調べたら好きに感じる。
嫌いだと思って調べたら嫌いに感じる。

そんな曖昧な勝負をまさに情報をコントロールしながら日々努力している企業や人物がいる。

だから、最近本当に

情報に左右されないで生きてきた年配の方々は強いなぁー。

情報に左右されないで生きてきた職人の方々は強いなぁー。

と思う。

まさにブレずに他者評価を気にする暇や方法すらなく、己を信じて生きて来た強さがある。

ツールを巧みに使って情報を集める人が情報強者で、
ツールを使えず、使わずにいる人が情報弱者なのだろうか?

本当の情報は人から人にしか伝わらず、
本当の評価は人にしか貯まらない。

情報化社会が当たり前の世代の私達は今後どんな生き方をして行くと面白いのだろうか?

私は私の思う「良い」を選ぶしかない。
私は私の思う「ダメ」をやめるしかない。

本当の情報弱者は誰なのだろうか?

私は人に貯まった情報で生きているタイプだ。
私は人に貯まった評価で活かされているタイプだ。

情報に捉われると誰かの評価をベースに「良さそうに見える。思える。」「イマイチそうに見える。思える。」

そんな歳の取り方はたくないなーと常々思う。

私の実感性を育てたい。
私の実体験を育てたい。

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